(やばい、ヤバい、やばい、ヤバい――――…!!!)
十二宮の階段があまりにも長く単調なので、カノンは駆け下りているというより殆ど落下しているような感覚になった。
恐怖で心拍数はMAXだ。全力で逃げる。逃げる以外の選択肢が思いつかない。
「待て、カノン――――――――――!!!!」
聖域中を揺るがすような大音声に、獅子座のアイオリアは「ああ、またやってるのか」とダンベル片手に思った。
あの双子には、我関せずが一番良い。
声は近いけれど、この獅子宮から出ない限り、騒動に巻き込まれることは無いだろう。
と、思っていたのに。
「助けろ、アイオリア!!!」
「ええええええっ」
なんの躊躇もなく獅子宮の扉をドーーンとぶち壊し、顔面蒼白状態のカノンが突進してきたので、まさかの事態にアイオリアは驚愕し・・・・・・ダンベルを落とした。 足に。
「ッッ〜〜〜いッっっってええええぇ!!!!!!」
……今日は厄日だ。 間違いなく。
うずくまり、不意打ちで食らったあまりの痛みに目尻に涙を浮かべながら、厄災の原因を見上げると、そこには何かに怯えるようにして、へたり込むカノンがいた。
その視線は、今自分がぶち壊した扉の向こう側を見つめている。
「なんなんだ、本当に!」
ドアを壊されたことと、足の痛みもあって、語気が強くなる。
そんな怒り心頭のアイオリアに、カノンは情けなくすがりつき、アイオリアの背中に隠れた。
20歳の背中に隠れぷるぷると震えてるその姿は28歳の所業としては実に情けないが、それを親切に指摘してくれる人がこの場には存在しなかった。
「助けてくれ!マジで俺の手には負えないんだ。き、キターーー!」
「はあ?何を怯えて………」
そこに、カノンを追って現れたものの存在(予想はしていたのに…)を見て、アイオリアも面白いくらいに血の気が失せていった。
「「ぎゃーーー!!」」
情けない二人の叫び声が、十二宮にこだました。
おとうとびより
絶叫する二人の目の前には、黒髪に真っ赤に充血した瞳を持つ―――通称“黒サガ”がドオオオオォンと仁王立ちしていた。
その身にまとうのは、シャネルの5番。ではなく、石鹸の良い香りのみ。
うっかりアイオリアは身体の中央部に目が行ってしまったが、慌てて反らす。
サガ「カ〜ノ〜ン〜〜…」
ゆらり、と黒い影が揺れる。
見事にすっぱだカーニバルな男の襲来に、色々なトラウマ持ちの二人は脂汗を流しながら視線を合わせ、へたり込む足を奮い立たせて同時に唯一の逃げ道・テラスへと走った。 その勢いのまま崖を駆け下りる。
サガ「…!待て!」
この状況で素直に待つバカなんかいやしねえよ、と背後から飛んでくる声に、カノンは内心毒づいた。
二人は一度も後ろを振り返ることなく、ひた走る。
リア「カノン!なぜ俺のところに来るんだ!やめろよこういう時だけ!」
当然の訴えである。
アイオリアは、完全にとばっちりだ。
カノン「しかたねーだろ!俺一人だと色々危険なんだよっ」
色々の意味は様々であるが、アイオリアはあえて深く考えずにスルーした。
リア「だからって、俺を巻き込むなって……!他にもいるだろ、巻き込まれ要員。ホラ、ミロとか蟹とかさぁ!」
カノン「ミロは留守だろ!蟹は逃げやがった!」
あのクソ蟹、次見かけたら聖衣の蟹脚引っこ抜いて質屋に投げ飛ばしてやる!と吐き捨てるカノン。
二人は崖を降り、そのまま全速力で森を抜けながら会話する。 ほとんど怒鳴りあいだ。
カノン「それにさ!」
リア「なんだよ!?」
カノン「お前、昔サガの幻朧魔皇拳受けたんだろ?ならなんつーの、ワクチン?みたいな。耐性出来て、万が一また幻朧魔皇拳受けてもなんとかなるんじゃないかと…」
リア「馬鹿じゃないか!???どういう理屈だ、ふざけるな!そんなことになったら、カノン、真っ先にお前を八つ裂きにして洗脳解除してやる!」
幻朧魔皇拳にかかった者は、目の前で人が一人死なない限り決して元には戻らない。
トラウマが再発しそうになったアイオリアは、ふざけたことをぬかすカノンの肩を掴もうとするが、するりと躱されてしまう。
カノン「やなこった!」
そのまま二人は無我夢中で走りきり、気付いたら海辺まで出てきていた。
後ろを警戒して振り返ったが、黒サガの気配はない。
二人は戦闘態勢を崩し、浜辺に座りこんだ。
人気がなく見晴らしの良いこの場所ならば、黒サガが襲来してもすぐに対応できるだろう。
リア「はぁ。なんだったのだ……サガはいったい…。カノン、お前はまたなにをやらかしたんだ」
カノン「俺が悪いのを前提として話すんじゃねえよ」
浜辺でだらしなく座り込んだカノンは、素直に事の顛末を語り始めた。
それも、そこらに落ちていた木の棒で、手遊びに登場人物の似顔絵を描きながら・・・・。
カノン「始まりは、アルデバランだった」
リア「アルデバランが?意外だな。 というかお前、絵心ないな」
カノン「うるせぇ」
砂浜に描かれた下手くそな絵に、アイオリアは呆れる。
二人は、ミロを介しての飲み会に同席するくらいの関係だったので、こうして二人きりで話をするのははじめてだった。
けれど、二人ともこの異常事態に興奮気味だったので、会話は滞ることなく進んでいった。
カノンによると、黒サガ出現の経緯は以下の通りだそうだ。
昨夜のことだ。
アルデバランが、作りすぎた煮物をお隣さん=白羊宮と双児宮におすそ分けしてくれた。 味の染みた里芋の煮っ転がしは、とても家庭的な味で美味しく、双子も大絶賛。
その話を、今日の昼間、教皇の間に遊びに来ていたアイオロスが聞いて、「良いなあ、私も食べたい」と言いだした。
(ここで、アイオリアの「兄さん……」という呆れ声が挟まれた)
しかし、もう既にアルデバランの煮っ転がしはすべて食べ終えてしまった。きっとアルデバランに頼めば、今度また作ってくれるだろう。
だから諦めろとサガは諭した。それより仕事だ。とんでもない量の仕事が滞っている。
けれど、アイオロスはなかなか承知しない。今食べたい、腹が減った、もう腹は煮っ転がしが食べたい気分になってしまったと駄々をこねる。
今日は、ただでさえ聖域に人手が足りなかった。
だからこそ、普段はふらふらと世界中を旅しているアイオロスが呼び戻されて、執務をさせられているのだった。
他の黄金聖闘士はというと。
今日からアルデバランは休暇、ムウはジャミール。
一週間前からカミュはシベリアにひきこもり、ミロはそんなシベリアに遊びに出かけたきり戻らない。
シャカは瞑想中。
アイオリアとシュラは午前と午後の交代で闘技訓練指導、アフロディーテは地方への出張中だ。
そんなわけで朝から積みあがった書類と格闘して、8時間は経過している。
一応昼ごはんは食べたが、ちんまりとしたサンドウィッチ3つなど、とっくに消化してしまった。空腹も集中力も限界だった。
そこにタイミング悪く、かき集めた参考資料を提出しに来たデスマスクが現れたものだから、この最強の兄達にじりじりと取り囲まれたらしい。
「アルデバランの里芋の煮っ転がしを再現してくれ」とアイオロスに詰め寄られるが、当然困る。
デスマスクはアルデバランの作った煮物の味を知らないし、そもそもイタリア料理、スペイン料理あたりは作れるけれども、煮っ転がしなど作ったことがなかった。
「もう一度、アルデバランに頼んでくれ」と言って、なあなあで済まそうと思ったが、あいにくアルデバランは休暇で聖域を留守にしていた。
ロス「よし!アルデバランを呼び戻すか」
爽やかに言うので聞き逃してしまいそうだったが、あまりにひどい。
デス「やめてやれよ、せっかくの休暇に。そんなことのためにブラジルからここまで往復させるのは、流石に可哀相だろ」
サガ「では、誰があの味を再現できるというのだ」
いつのまにか、サガも作る方向で話を進めている。アイオロスの腹を満たせば、ちゃんと仕事をしてくれるだろうと考えたのだ。
困り果てたデスマスクは、「下手に作って失敗するのも嫌だから」、と理由をつけてカノンを教皇の間に呼びつけて、被害者を増やす作戦に出た。
犠牲になるならばひとりよりふたり、である。
カノン「そんな面倒くさいことに、俺を召喚するな!あともう少しでジムリーダーに挑むところだったのに!」
自分が呼び出された理由を聞いて、憤慨するカノン。 この数十分後に、まったく同じことをアイオリアにするのを、この時の彼はまだ知らない。
サガ「仕方なかろう、アルデバランの煮物を食べたことがあって、かつ料理が出来るのはお前だけなのだ。こんなしょうもないことにムウを呼び出すのも怖いしな。カノン、あの味を再現してくれ」
カノン「しょうもないことってわかってんのかよ…」
デス「よっ、巻き込まれのプロ!」
デスマスクの囃し立てに、巻き込まれのプロは激昂する。 聖域最恐の兄二人に対してはあまり強く出られないが、蟹に対しては怒りをストレートにぶつけられるらしい。
カノン「黙れ蟹!!煮えたぎる油に突っ込んで天ぷらにしてやろうか!」
サガ「こらカノン、口が悪いぞ。それに蟹は茹でたものが至高…」
デス「そういう話じゃなくね?」
ロス「私はアボガドと合わせて食べるのが好きかな!」
デス「女子力高いな・・・」
そう話しているうちに、砂浜にはよくわからない下手くそな絵が量産されていた。
アイオリアが「これは誰だ?」と首をひねったので、カノンは握った木の棒の先で、目つきの悪いイラストに ←かに と補足を入れた。
カノン「……んで、俺とデスマスクが諦めて適当にクッ○パッドを見てそれっぽいものを作ろうと思ったら…サガが昨日煮物食ったからやっぱり今日は麺類が良いとか言い出して、でもアイオロスは白米食べたいって譲らないし…」
リア「…話が脱線していないか?」
カノン「そうだ、前から言いたかったんだけどさ。お前の兄貴、爽やかに我儘すぎね?あの爽やかな笑顔で、結構周りの人誤魔化してるよな?」
リア「うーーん、そうかもしれないけど。それを言うなら、サガだって相当エグい命令もキラキラオーラで誤魔化してると思う」
カノン「それは俺が一番良く知ってる」
二人はお互いの兄のタチ悪さにうーーん、と眉間に皺を寄せる。
脳内にフラッシュバックする、数々の苦い思い出・・・・・・。
先に我に返ったのはアイオリアだった。
リア「で?結局、サガがああなった理由がいまのところ全くわからないのだが」
カノン「ああすまん、どこまで話したっけ?」
リア「兄さんが白米食べたいって譲らなかった、ってとこまで」
カノン「ああ、そうそう」
そうして揉めているときに、更にものすごいタイミングの悪さでシオンが現れたのだという。
普段は老師と紫龍たちに囲まれて引きこもっている彼が教皇の間まで現れるのは珍しい。
突如来訪した前教皇の姿に、サガもアイオロスも、少し遅れてデスマスクも、慌てて礼を取る。
(カノンはぼーっと突っ立っていたら、サガに無理やり頭を下げさせられた)
シオン「おもてを上げい。サガよ」
サガ「はっ」
蛇に睨まれたカエルのように、サガの顔が真剣モードだ。
シオンはそんなサガを眠そうな表情で見下ろし、神託を告げるかのようなハッキリとした声で話す。
シオン「アイオロスを借りてゆくぞ」
サガ「え?」
サガの目が点になる。
シオン「今、五老峰では麻雀が流行っていてな。だが、私、童虎、紫龍では面子が足りぬ。…春麗殿は賭け事はやらぬそうなのでな。4人目を探しにやってきたのだ。ついて来い、アイオロス」
はい、と素直にうなずいて、アイオロスは立ち上がる。
アイオロス「シオン様も老師も、お強いから嫌だなあ〜〜」
シオン「フッ、何を言う。お前こそバカみたいに強いではないか」
今日の補佐であったアイオロスを身勝手に持っていかれると、執務に支障が出てしまう―――!
そうサガは叫びたかったが、相手がシオンであるがゆえに強く出られない。
アイオロスを連れたシオンは扉に手をかけたところで、ふと思い出したのだろう、振り向いてデスマスクを見やった。
シオン「蟹よ。貴様も来るか?童虎が、…えーけーぶー?とか言う人物の話がしたいと言っておったぞ。推し…推しメンツ?というものについて、語り合いたいと」
デス「まじっすか!!やっPー!流石は老師、お若くていらっしゃる!」
聖域にアイドル好きの同志が居ないデスマスクは、ガタッと立ち上がり沸き立った。デスマスクのアイドル語りに、首をかしげるシオンとアイオロス。
サガ「・・・・・・・・・・・・・」
カノン「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
隣のサガのオーラがどんどん暗くなっていくことに気づいたカノンは冷や汗をたらした。
テンションの上がっている三人は、気づいていないらしい。そのまま、無慈悲にもパタン、と軽い音を立てて扉は閉まり、三人は行ってしまった。
きっとシオンのテレポーテーションで、もう五老峰だろう。
カノン「じ、じゃあ俺も帰るわ…」
サガ「待て」
ゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・
という異様な迫力とともに、カノンの肩に手がかけられる。
恐る恐る振り返ると、髪の毛先が徐々に黒くなりはじめているサガが、悪魔のような表情で笑っていた―――。
サガ「もう……真面目に仕事なぞアホらしい……どうでもいいわ。カノン、私ともっと楽しいことをしようではないか…」
サガの身体から、ばああああぁんと脱ぎ捨てられる衣服。
カノン「ひいいいぃ―――…!!」
リア「・・・・・・・・」
カノン「とまあ、こんな顛末なんだが」
砂浜にはぐっちゃぐちゃのイラスト群。
しゃがんでそれを無言で見ていたアイオリアは頭痛がしはじめた。
登場人物全員が身勝手すぎて、途中でツッコむのも面倒くさくなってしまった。
リア「話はわかったけど。で、どうするんだよ、これから」
カノン「そうだな…ほとぼりが冷めるまで逃走しようかと思ってる」
リア「じゃあその間、ずっとあのサガがマッ裸で聖域を徘徊することになるのか!?」
阿鼻叫喚どころの騒ぎじゃないぞ、と聖域に残った人たちの心配をするアイオリアだったが、カノンは別の点に狼狽えはじめた。
カノン「!!!!やべえ、それは盲点だった・・・・・・・」
リア「え、気付いてなかったのかよ!盲点どころか、モロ出しだったじゃないか!いろいろと!」
カノン「あああああぁ……これだから双子は嫌なんだ……あいつがマッパ=俺がマッパなのと同じものを晒してるわけで…ああああぁぁ!!」
アイオリアも、その気持ちはよくわかった。
この夏に、あまりの暑さに耐えきれなかったアイオロスがパンツ一丁でうろうろとそこらへんを歩き回っていたときは、死にたくなったものだ。
遠目からでは、アイオリアなのかアイオロスなのかわからないものも多い。つまり、彼を目撃した人の中には、アイオリアがパンイチだと思った人も居るだろう。
カノン「・・・・よし、アイツを倒しに行こう。いくら最強の黒いのとは言え、あっちは一人、こっちは二人だ」
リア「勝手に数に入れないでくれないか。 俺はまだ死にたくないぞ」
カノンは無遠慮にアイオリアの背中を叩くと、ニカッと笑って励ましてくる。
カノン「ワクチン持ってんだろ!大丈夫だって!いざとなったら俺が幻朧魔皇拳で先に操ってやるよ! 共同戦線張ろうぜ!」
リア「だから、そんなもの持ってないと…、…・!!」
アイオリアは、その瞬間、「うかつだった」と思った。
人気がなく見晴らしの良いこの場所ならば、すぐに対応できるだろうだなんて、この男に対する認識として甘かったのだ。
カノン「やべっ」
ぐにゃり、
と目の前の空間が歪む。
まがまがしいオーラと共に、時空のゆがみから腕が現れた。
その腕は、共同戦線はどこへやらで1人で逃げようとしたカノンの首根っこを掴む。
カノン「ひぎゃーーー!!!」
サガ「…アナザーディメンション、応用編だ」
そう静かに言いながら、サガの全身が浜辺に降り立った。
ひとりヌーディストビーチ状態のサガを見て、「他の人が居なくてよかった」とどこか冷静なことを考えるアイオリア。
カノンは更に逃げようと抵抗したが、それが面白くない黒サガのチョークスリーパーで、気管を重点的に絞め付けられ、呼吸を妨げられた。
カノン「ぐあっ……」
ギブ、と三回ほどサガの腕をタップするが、ここは試合会場ではないので普通に無視される。
その姿を見て、アイオロスと訓練稽古しているときに腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)を食らって泡を吹いている自分を見たような気がしたアイオリアは、見かねて助けに入ってしまった。
リア「離してやれ、サガ」
サガ「……にゃんこ、居たのか」
リア「ふざけるなっ」
本当に今初めて気づいたようなその少し驚いた眼と、にゃんこ、というアホな呼ばれ方に、アイオリアは憤る。
あたまに一気に血が上るところは、相変わらずだ。
リア「聞け!獅子の咆哮を!ライトニング・ボルト―――…!!」
サガ「…ふん」
左に抱えていたカノンをパッと手放すと、サガは両手で異次元への扉を開き、アイオリアの攻撃を防ぐ。
サガ「可愛いにゃんこパンチだな」
相手を馬鹿にした笑い声に、アイオリアも黙ってはいない。
アイオリア「…何だと。貴様は簒奪者と言えど、その身体は仲間のもの。手加減をしてやったと言うに。ならば・・・・・!!」
サガが不敵に笑い、アイオリアがライトニング・プラズマの構えを取ったところで、邪魔が入る。
カノン「サガ!!やめろよっ」
サガの足元でゲホゲホと呼吸を整えていたカノンが立ち上がり、喉を抑えながらサガを咎める。
足元のラクガキは踏み荒らされ、もう影も形もない。
ジロリ、と充血した視線がカノンに注がれる。
カノン「こいつは悪くない。俺が巻き込んだのだ」
リア「カノンッ」
アイオリアの叫びは、何故だと訴えている。何故止めるのだと。カノンは目線だけでアイオリアを制す。
カノン「…サガ、もう鬼ごっこはおしまいだ。俺の負けでいい。お前から逃げたりして、悪かったよ。機嫌を直せ」
宥めるように、サガの頬にキスをする。
サガ「・・・・・ああ」
カノンがもう逃げないと降伏したことで、黒いサガも落ち着いたらしい。
緩やかにうなずくと、もうアイオリアのことなど眼中にない様子で、カノンの腰に手を回した。
カノンも大人しく抱かれ、サガを宥めようとしている。
片方は全裸だったのでやはりどこかシュールな光景だったが、だんだんサガが裸で居ることに見慣れてきてしまったアイオリアは、それよりもいまだ納得できない展開に、憮然としていた。
一緒にサガを倒そうという言葉は、嘘だったのか。
それほど、カノンはあの黒髪のサガから逃げたかったのではないのか?
黒サガからアイオリアを庇っているのなら、甞められたものだ。面白くない。
カノン「悪かったな、アイオリア。迷惑かけた」
リア「待て!カノン・・・・・・!」
今度、詫びに煮物持ってくから、許してくれよ――そう言い残して、ゴールデントライアングルを経由し、双子はどこかへと消えた。
翌日。昼過ぎに、あっけらかんとした笑顔で、アイオロスは帰ってきた。
ロス「たっだいまー!いやー、徹夜で麻雀、麻雀、麻雀。腰が痛いよ。でも、九蓮宝燈(チュウレンポウトウ)出たからな!悔しそうなシオンさまと老師を見るのは気持ちよかったなあ〜。一回、老師に振り込んじゃったシオンさまがうろたえて雀卓ひっくり返したときはどうしようかと思ったけどね〜。おーい、お土産は春麗ちゃんの手作り桃まんだぞーー…あれ?」
教皇宮にいるのは、シュラとアイオリアの二人だけだった。
アイオリアはむすっとした顔でアイオロスを睨みつける。
リア「兄さんっ。遅いよ!ほんと、大変だったんだからな!」
ロス「どうした、アイオリア?今日もかわいいね」
リア「何言ってるんだ!まったくもう!」
ムキー!となるが、アイオロスはそんなアイオリアが可愛くて仕方ない。
ロス「ほら〜桃まんだぞ〜〜」
リア「やめろよっ」
ほんわかした笑みで、桃まんをアイオリアの頬にぐりぐりと押し付けるが、当然キレたアイオリアのパンチが飛んでくる。
サッと避けたアイオロスはそのまま桃まんを口に運んだ。
シュラ「アイオロス、デスマスクは?」
ロス「んー。まだ、老師とアイドル語りするから残るそうだよ。私だけ先に帰ってきたんだ」
シュラ「あのバカ・・・・・・」
シュラが眉間に皺を寄せる。彼のデスク上には、昨日から残っている未処理の書類。
ロス「…?サガは?」
リア「兄さんたちが消えてから、大変だったんだよ……」
ロス「ん?」
シュラ「昨日、サガは黒くなって聖域中をマッパで駆けずり回り、皆を恐怖に陥れた挙句、仕事なんてしたくない!!と、カノンを連れて消えた…らしい」
ロス「あはははっ!!!」
リア「笑い事じゃないよ兄さん…。今朝、カノンから連絡があった。今、二人はモルディブの水上コテージでぼーっとしてるらしい。ストレス消えたらサガも元に戻るだろうから、それまで聖域を頼むって言われた」
アイオリアは、昨日のことを思い出すといまだに苛立ってしまう。今朝、連絡してきたカノンの声が意外と落ち着いていて、むしろアイオリアを宥めるような口ぶりだったのも、子供扱いされているようで面白くない。
ロス「ああ、だからお前たちが書類仕事なのか。大丈夫か?」
リア「大丈夫じゃない―――…!!」
ロス「ははは、だろうなあ」
弟の活字嫌いを知っているアイオロスは鷹揚に笑う。突っ伏すアイオリアの机から、書類の束を半分ほど引き受ける。
ロス「私も手伝おう。…そのために、帰ってきたしな」
リア「兄さん…!」
普段は肩の力が抜けるほどふざけた兄だけれども、たまに見せるタイミングの良い頼もしさがズルいと思う。単純なアイオリアは、ついうっかり感動してしまう。
シュラ「…兄も兄なら、弟も弟だ」
今回、最もとばっちりキングの名にふさわしいのは彼かもしれない。
休暇を返上して書類仕事を手伝うシュラは、五老峰から蟹が帰ってきたら即さばいてやろうと決意を固めた。 (とばっちりNo.2である)
一週間後。
ものすごくスッキリした表情のサガが、目にもとまらぬスピードで溜まった仕事を処理している、らしい。
噂話は人一倍早く入手するミロが、そう言ったあと、「お前も大変だったみたいだな!」と笑う。
デスクワークなど門外漢だったアイオリアは、この一週間で身体がなまった。ダンベル片手に、体を鍛えなおしている真っ最中だ。
ミロ「じゃなー」
シベリアから帰ってきたミロは、お土産のオイルサーディンの缶詰を置いて、獅子宮を降りて行った。
カノンが破壊した扉は、いまだにそのまま木屑として床に転がっている。
カノン「はいるぞー」
リア「カノン!!」
カノン「よっ、久々」
しばらくストレッチして、体の筋肉をほぐしているところに、玄関からひょっこりと顔を覗かせたカノンが現れた。
片手には里芋の煮っ転がしが入った皿が、ラップで蓋をされている。
リア「それって…」
カノン「アルデバランに作ってもらった。休暇、楽しかったみたいだぞー。 “なんだか大変だったようで、留守にしてすまなかった”なんて謝られちまった。良い奴だな、ほんと」
カノンは反対の手に持っていた、小さな袋をずいとアイオリアに突き出した。
カノン「今からお前のとこ行くっつったら、コレ持って行けって。お土産だと」
リア「あ、ああ」
カノンから、ブラジルで有名なコーヒー豆を受け取る。
カノン「お前の兄貴は?」
リア「…三日くらいして仕事が一段落したら、また出かけた。久しぶりに星矢の顔が見たくなった!とか言ってたから、日本だろう」
カノン「落ち着きのねえ奴」
アイオリアは、飄々としているカノンから目が離せない。少し日に焼けたのだろうか?髪をサイドに流しているので、首筋が露わになっている。
黒髪のサガにチョークスリーパーで絞められていた首には、もう痕は残っていなかった。
リア「その・・・カノンは、大丈夫だったのか?」
あのとき、カノンは自分を庇って仲裁に入ったのだとアイオリアは感じていた。
それでサガに連れ去られ、酷いことをされていたとしたら、悔やんでも悔やみきれない。
しんみりしたアイオリアの様子に、あっけらかんとした様子でカノンは答えた。
カノン「おう。悪かったよ、あの時は。真っ裸で追ってくるサガのあまりの剣幕に逃げてたけど、いざ捕まってみたら、モルディブはめちゃめちゃキレイでいいところだったし、サガのカード使って贅沢三昧で、意外と楽しかったぞ!あはは」
「だから、コレ詫びな!許せ!」と、アルデバランの作った煮っ転がしを手に、あの兄達と同じように爽やかな笑みを浮かべているカノン。
リア「なっ・・・」
あの時の恐怖や、壊れたドアや、この一週間カノンの身を心配した時間が次々にフラッシュバックして、右手がふるふると震えだす。
リア「・・・・ライトニング・プラズマーーーー!!」
もう二度とこの双子には巻き込まれたくない、自分にはあの困った兄一人で手いっぱいだ、とアイオリアは涙をちょちょぎらせた。