なりそこない


 友達には痴漢に遭ったと話した。
 だけど実際のところ行為はされていないし、「漢」でもない。
 そのひとはいつも三つ目の駅で五つ目の車両に乗ってくる。三つ目というのは、わたしがその電車に乗る駅から数えて。
 Yシャツ一枚にジーンズというラフな格好の日もあれば、大きな花柄のロングスカートにセーターを合わせたフェミニンな服装の日もある。そうかと思えば翌日には男物のジャケットをさらりと羽織っていたり。そしてそのどれも、美しい彼女には驚くほど似合っているのだ。似合うというより、様になっている。
 当たり前だけど、わたしはいつも制服。紺のセーラーは先月卒業して、今日からは同じエンブレムが付いたいかにもなブレザーだ。あのひとは制服マニアってやつなのだろうか。
 わたしが座る奥の席の右斜め前に、どんなに空いていても絶対に立ってこっちを見ている。その視線には遠慮なんて微塵も感じられない。
 つむじから髪の毛一本一本を慈しむように、白い鎖骨を愛でるように、指先を優しく含むように。こんな書き方をすると自意識過剰な奴だと思われそうだけど、そういうふうにしか説明できないのだからしょうがない。あのひとは本当にいとおしげにわたしを眺めるのだ。不思議なのは、セクシュアルな匂いが感じられないこと。だけど、爽やかな色気とでもいえそうな矛盾は透けていること。


 車内の空気に馴染みのある異物が混じったのを察知して、わたしは文庫本から顔を上げた。やっぱりだ。あのひとが入ってきた。パーカーにカーゴパンツでカジュアルな出で立ち。そしていつものようにわたしを向くと、ちょっと目をまるくした。新しくなった制服にひとしきり目をやると、今日は学校指定のローファーとハイソックスにつつまれた足もとを観賞しているみたい。
 これが男とか同年代の女子だったら、車両なり時間なりを変えて避けていたと思う。なぜそれをしなかったからって、もちろんあのひとを気に入っているからだ。これだけじろじろ観察されても、なぜか嫌な気はしない。それどころか嬉しささえ感じている。わたしにはあのきれいなひとのお眼鏡にかなうなにかがあるのかも、なんてうぬぼれちゃったりして。
 降りる駅は、わたしのほうが先。だからあのひとがどこに行っているのかは知らない。扉から出る数秒、接近することになる。あのひとはきまって幸せそうに微笑んでいた。


 気まぐれにキッカケも理由もない。なぜなら気まぐれだからだ。
 話し掛けてみよう、と思った。
 文庫本のページは進まないし、ウォークマンの音楽も耳に入ってこない。こんなに心臓が高鳴ったのは、玉砕した小学校卒業式の告白以来かも。
 車内アナウンスが駅名を告げる。ドキドキは最高潮に達していた。ドアが開いて――真っ黒なノースリーブのワンピースに、ボレロを重ねている。優雅。
 あのひとの目がわたしをとらえるより先に、席を立った。あら、という表情のあと、にっと口角を上げる。
「……毎日、どうも」
「こちらこそ」と彼女は存外穏やかな声で言う。
「わたしになにかあるんですか」
 ストレートに一発。「余裕綽々」がかえってきた。
「うん」
「一体なにが?」
「ひみつぅ」
 幼いその口調は見た目とのギャップが激しすぎて、くらくらする。
「じゃあ、お名前は?」
「ヤヅカエリ。三本の矢の矢に塚、エリは絵画に里」
 その瞬間、「あのひと」は「絵里さん」になったのだった。


 あなたの行き先見届けるまで、わたしはここを動かない。そんな歌詞があったようななかったような。
 興味は加速していく。あれから一度もしゃべっていない。絵里さんは相変わらずわたしを見、先の駅に向かっている。わたしは絵里さんが毎日どこに通っているのか、突き止めることにした。OLの服装ではないし、大学生の年齢にも見えない。妥当に勤め人、あるいは院生だったら有り得るかしら?などといろいろ考えつつ、いつもよりひとつ奥の車両に乗り込んだ。幸い視力はいいので、このくらいの距離なら確認できる。
 クローゼットを見てみたい。レトロな低めの白ハットを被り、デニムのサロペット姿で乗り込んできて、絵里さん、残念そうな意外そうな顔をした。してやったり、とわたしはひとり笑う。
 何駅あったのだろう、わたしが来たことのない駅で絵里さんは降りていった。わたしもあわててあとを追う。
 エスカレーターではなく階段で上っていった。電車の外で見る絵里さんはなんだか新鮮だ。通行人がちらちらと振り返っていく。当然じゃん絵里さん素敵だもん、とわたしは勝手に鼻高々で。
 北口を出ると、絵里さん、心なしか早足になった。わたしの全身に余すところなく注がれた眼差しが今は、まっすぐ前のどこかを見据えている。スーパーの脇の細い路地に入ると、ちいさなアパートの前で足を止めた。こんなところになんの用だろう。
 迷いのない足取りで、ひとつのドアの前へ。チャイムに手を掛ける――かと思いきや。
(え?)
 ガチャン、と音がして鍵が開く。絵里さんの手には銀色の物体が。おはよー、という柔らかい声が、ドアの向こうに消えていった。
 酸素が薄くなる。
 ふらふらとさっき通りすぎたスーパーに足を運び、フードコートにぼんやり座っていること一時間。絵里さんが、歩いてきた。
 なにも考えず外に出る。絵里さんとの距離、わずか二メートル。なのに絵里さんはまったく感づいている様子がない。幸せそうに笑い掛けている。――彼女、に。
 桜色のワンピース、首の横でふたつに結ばれた髪。ボーイッシュな装いの絵里さんと並ぶと、とても「それらし」かった。あからさますぎた。
 絵里さんの腕に抱きつくみたいに隣を歩くそのひとは、わたしにとても、嘘みたいによく、似ている。


[09/04/07]
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