『記憶は消えても、想いは残るんだ』

 いつか、バラなんか胸にさしちゃってるキザ夫がそんなことを言ってた。
 ブルックリンだけじゃなくて、世界中の人たちみんなの記憶が飛んじゃった日があって、その日いろんなことがブルックリンであったらしい。気がつくと街はいろんなところが壊れてて、地震かハリケーンにでもあったんじゃないかって状態だったけど、誰もくわしいことは覚えていない。みんな、その日その瞬間は何があったかなんとなくわかっていて、なんか納得して記録とか確かめる前に流しちゃったらしい。ビデオとかカメラとか、情報ってやつは不自然に消されてて宇宙人の襲来だとかそんな話も出たけど、結局その後何もなかったからフツーに生活してる。
 でもその日、たぶんおれたちは忘れちゃいけないこと――忘れたくないことが、あったんだ。

「よっしゃキザ夫! 同じ学校に入ったからには! おれサマの栄光の野球ロードをだな――」
「いいかげん名前で呼ばないか! キミのせいで気が付いたらチームでもキザ夫さんとかあだ名が妙なかんじで定着してたし! このジュニア・ハイスクールでもキザ夫が定着したらボクが毎回完封試合してキミの打席なんか回ってこなくしてやる!」
「ムキーッ! 言うことがいちいち嫌味なんだよおまえ! さらっと完封試合だとぉ!? 野球っていう団体競技ナメてんだろ」
「ハッ、言っとくけどボクがピッチャーで最初からマウンドに立ってる試合は八割方完封だぞ」
「うっわ、ますます嫌味なこって」
 メグが想いっきりチョップくれたり、マックが昔よりちょっとばかりスリムになった顔で“ケンカはダメなんだな〜”と寄ってきたりして言い合いはいつも言い合いで終わる。いつかあいつをギャフンと言わせてやるんだから。
「……シュウ。あの日のこと、何か思い出せたかい?」
「いんやー、なーんも」
「ボクは……わかってるけど、思い出したいんだ」
 この想いは少しも消えてないから、と泣きそうな顔でキザ夫は笑った。





『記憶が消えたんなら仕方ねーじゃん。残ってる想いを大事に持っとけば』

 シュウゾウ・マツタニは本能で生きて頭を使ってないアホだ。そして時々怖いことをすっぱり言い切る。野生動物の勘は侮れないということなのか。
「やー、マツタニさん、ぜひわが社に」
「あはははー、お誘いは嬉しいんですけど、それはまた20年後くらいに。教育ローンとかいろいろありましてねー」
 ボクの父さんとシュウのお父さんはいつの間にか友達になっていて、よくオモチャの開発談義とか売り物にならなさそうな手間のかかる個人試作のあれやこれやを作りにお互いの家を行ったり来たりしている。
 個人で会社を作ってバッタもん商品で会社経営をつないでいる父さんと、大手オモチャ会社の一社員として開発担当、つつましくシュミで試作品作りにやってくるシュウのお父さんを見ていると、うちの父さんに“派手なことしないでもうちょっと賢明に生きようよ”と言ってあげたくなる。無駄だから言わないけど。
 安定した人生設計をしているシュウのお父さんを見習ってせめて経営を火の車にするのはやめてほしいと思う。
「お父さんたちー! バーベキューの用意もうすぐできるから、適当なところで切り上げて来て下さいって」
「ありがとう、すぐ行くよ。ディーノくん、うちのシュウは来たかな?」
「さっき来たところです。マックもメグも来たから料理がそろったらもう始めます、て」
 シュウとちがって当たりのやわらかいシュウのお父さんは和む空気を背負って微笑む。
「ディーノくん、シュウのこと苦手かな?」
 見た目からは想像できない鋭さがこの親子の共通点なのかもしれない。
「……別に。前はムカついたり苦手だった気もしたけど、今はそんなにも」
 あははは、考えが足りない子でごめんねー、その分本能でカバーしてるから、と父親だからかミもフタもないうえに思わず納得してしまうセリフが飛ぶ。
「あの子とこれからも仲良くしてやって、キミと同じ学校で同じチームで野球ができるの、すごく喜んでたから」
「……はい」
 忘れたくないこと、大切な想いが胸にある限り、ボクは彼らの手を放さない。……いつか、ボクはそう決めた。





『好きだったの。覚えておきたいから写真をとったのに……こんな消えたのしか残ってないの』

 メグは今もカメラを首からさげて持ち歩いてるんだな。ぼくはよくわからないんだけど、秘密基地に置いてある写真は不自然な構図のだとか、メグが撮るにしてはまばらで妙なかんじのが何枚かあって、メグはそこに確かに誰かが映っていたのに、と泣きそうになって、シュウもすごくさびしそうな顔で頷いてたんだな。
「街がムチャクチャになって、みんなが何も覚えてない日から、もう何年たつんだろ」
 ぼくたちが来てた秘密基地のあるビルはあの日から崩れそうで崩れないまま放っておかれていて、ぼくたちは少しずつガレキを片付けて、今も三日に一回ぐらいは来てるんだな。
「たぶん、誰も思い出さないのは、思い出しちゃいけないことだからなんだな」
「……そう、かもね。でも、シュウが言ってたみたいに想いだけを変わらず持ち続けるなんてできるのかしら? 記憶もないのに」
「……全く変わらない、なんてことは無理なんだな。でもぼくたちが、小さいころからずっと友達で、お互いのこと大好きだっていうのが変わらないみたいに、ぼくは忘れてしまったあのひとのことも大好きなままでいたいんだな。できるって、信じたいんだな」
 メグはアルバムに整理していた写真を一枚、とっても大切そうに胸に抱いた。
「心は自分だけのものだものね。でも、アタシはいつか――」
 子供じゃなくなって、大好きな誰かがいてくれたからこそちがって見えた空のこともいつか忘れて、見なくなって。
 そんな風に言うメグは、でも悲しそうな顔はしなかった。
「シュウがここに住んでるハムスター似のナゾの生物のこと好きなみたいに、アタシもいろんなものと出会って“好き”を見つけるわ」
 ぼくたちが今もここに来る一番の理由が、エサをあげるためなんだな。シュウ以外の前になかなか出てこない、白くて小さな生き物。シュウは一回も口に出して言わないけど、すごくすごく好きで、いつもいっしょうけんめいになってるんだな。

 ――今度こそ、忘れないように。








『羽根があるなんて、妖精さんみたいなんだな』

 ミュータントかUMAかと考えたアタシよりマックの発想の方が段違いに豊かというかメルヘンで、乙女としてちょっぴりヘコんだ。シュウ命名“ねずっちょ”はアタシが最初に発見してマックが飼いたいと言い出してシュウがああいうのは無理に飼わない方がいいと反対して、ちょうど来ていたキザ夫さん(ディーノと呼ぶのは気がひける)が家にもう使わないゲージがあるからあげようか? と言って、結局秘密基地で飼うというかゲージを置いて、エサと水をかえに誰かが行く、ということになった。
「飼うってことはこいつに名前つけたりとかするってことだろ? おれ、あのとき絶対こいつの名前知ってると思ったのに出てこなくて、そんでねずっちょにしたんだ」
 シュウにとって、ハムスターに羽根をくっつけたみたいな生き物は忘れてしまった記憶につながるのかもしれない。たぶん、シュウといるねずっちょの姿にみんなが懐かしさみたいなものを感じていて。
「でも、名前思い出しても呼んじゃいけない気がするんだ」
「それは、そうなんだな。家のお手伝いをしてくれる妖精さんを用もないのに呼んじゃったりするとお仕事の邪魔になるんだな」
 仕事を――役目を終えて、みんなは帰って――還ってしまった。時々しか現れないねず
っちょは、本当に妖精がくれた奇跡みたいにとても儚いのだと、きっとシュウが一番理解してる。
「……ま、いーや。ねずっちょはねずっちょだし、なんだかんだですぐ戻ってくるし」
 それより腹へってきたしそろそろ家帰るわ、とシュウは顔を出していた大時計の丸窓から頭を引っこめてぴょんと飛びおりてくる。肩にいたねずっちょは勢いで落ちて、秘密基地の床に激突しかけたかと思えばスレスレでパタパタして持ち直し、すぐにジャンプしてシュウの頭の上に乗って、飛び跳ねながら文句をつけるみたいに鳴いている。
 ――不思議なはずの光景がちっとも不思議じゃないのはどうしてなんだろう。
「じゃあアタシたちも帰ろっか。……マック?」
 空を見上げていたマックは笑った。
「なんでもないんだな。みんなで帰るんだな」


おわり



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