「この前の宿題、後ろから集めろー」

あと数分で授業終了のチャイムが鳴るだろう。
黒板に白色のチョークで羅列した文字を自ら消し始めた先生が唱えると、静かだったクラスはざわざわと賑わいたつ。
あれはどうやって調べただの、ここは空欄のままなんだだの、言いながら回されてくるノートを前の席に渡せば、教卓に集まるころにはクラスメイト分のノートが積み重なった。

「これを職員室まで届けて欲しいんだけど…あ、兄妹。頼めるか?」

黒板消しを置いて手に付いたわずかな粉を払った先生の言葉に、肩が跳ねる。
視線を上げれば返事を待つ笑顔の先生と目が合い、どうしたものかとゆるゆると視線を右隣へと向けた。太い眉尻を下げた彼も、同様に私へと視線を向けていた。

「オレは構わないよ」
「じゃあ、私も…」
「よし。じゃあ河村と、頼むね!」

決して大きくはない声で互いの意思を確認すれば、元気の良い返しをしたのは先生だった。
積み重ねられた全員分のノートをバンと叩けば、その合図を待っていたとばかりに授業終了のチャイムが響く。短い号令で途端に騒がしくなった教室の前方。教卓に重ねられたノートの山を見つめる。

「じゃ、行こうか」
「半分ずつだね…って、タカさん持ちすぎ!」
「結構軽いから、はこれだけでいいよ」

ひょいと、全員分のノートのそのほとんどを抱えたタカさんは私の驚きも笑顔でかわして先生からの任務を遂行せんと歩き出す。教卓に残されたたった数冊のノートを抱え、私も慌てて後を追った。

「兄妹仲良く、職員室までお使いか」
、お兄ちゃんの言うこときくんだよー」

背中に投げられた言葉に、教室ではどっと笑いが起こる。
すっかりと慣れてしまった悪意のこもっていない野次に、嬉しいやら悲しいやら。たった一度の間違えがこうも浸透してしまうなんて。


原因は、私の呼び間違えだ。


グループワーク中にタカさんのことを"お兄ちゃん"と呼び間違え、それを周囲に囃し立てられた。そうしているうちに大らかで面倒見の良いタカさんと、クラスの女子でも身長の低い私を、だれかがまるで兄妹みたいだと冗談めかして言ってしまえば、先生を含めクラス中にそれが浸透してしまうのはあっという間だった。

席も近く、普段からよく話していたこともあってか、私たちをまとめて"兄妹"と呼ぶことに、否定するよりも早く、タカさんは笑顔でそれに順応した。



「タカさんの家って、お寿司屋さんなんだよね」
「そうだよ。テニス部の連中と、打ち上げしたこともあるんだ」
「え、回らないお寿司でしょ」
「カウンター式だね。親父が祝い事とか好きでさ」

職員室までの道中。なんてことない話題に花を咲かせながらの空間が何よりも好きだったりする。

"兄妹"と呼ばれるようになって、以前にもましてタカさんとの距離が縮まったことは嬉しかった。

も今度おいでよ」
「タカさんが握ってくれるの?」
「オレなんかでよければ。親父に言ってサービスさせてもらうよ」

回らないお寿司なんて敷居が高くていつ行けることになるのか分かったものではないが、こうしていつ実現するかもわからない約束ともいえないやり取りに期待はしないでおこうと思いながらも胸が膨らむ。

"兄妹"と呼ばれることで、二人でいることに違和感を感じさせることがなくなった。
仲がいいだなんだと囃し立てられることがなくなれば、周囲の目を気にせずにタカさんに積極的に話しかけることができてた。その反面、仲良くしてくれるタカさんは"兄妹"だと例えられる言葉通り、私を妹として扱っているからこそ、こうしてクラスの女子よりも私に優しくしてくれているのだと理解して、悲しくもあった。



「先に戻ったはずの先生がいないし」
「先生の机に置いておこう」

さほど距離のない職員室までの道のりにたどり着けば、任務を依頼した先生の姿が職員室にはなかった。
提出物を届けに来ただけなので机の上に全員分のノートを重ね、職員室を出る。

「任務しゅーりょー」
「教室に戻ろうか」
「うん。次は私も半分持つからね。タカさんに甘えちゃダメなんだから」
「そうだね。じゃあ次は頼らせてもらおうかな」

職員室前で意気込んでみせれば、柔らかく笑いながら承諾してくれるタカさんにつられて笑顔になる。

ぽん。とわずかな重みを感じたと思えば、見下ろされている私の頭にタカさんが手を乗せていた。厚みのあるタカさんの手は、私の頭をすっぽりと包んでしまいそうだ。

「本当に仲良いな、河村と。さすが兄妹」

かけられた声に同時に振り向けば、ついさきほど教卓越しに授業を開催していた先生が感心するように私たちに関心の視線を向けていた。
普段からノリの良い先生なので、"兄妹"なんて呼ばれていることを知ると、その日のうちにその呼称を利用して私たちを指し示すようになったのだ。

ノート、机の上に置いておきました。何事もなかったかのように済んだ要件を伝えるタカさんの横で、早鐘を打つ心臓を落ち着かせるために大きな深呼吸。

「おー助かったよご苦労さん。職員室戻る途中に捕まってな、先週のテストの再試組の質問受けてたんだ」

私の手のひらよりずっと大きいであろうタカさんの手のぬくもりが、まだ頭に残っている感じだ。
先生とタカさんが再試がどうだと話しているが全く入ってこない会話の中身より、真っ赤に染まってしまいそうな頬をなんとか鎮めることに精一杯だ。

「じゃ、また頼むな仲良し兄妹」
「はい」

ガラガラと職員室のドアを後ろ手に閉めた先生の言葉だけは、聞く気もなかった私の耳にするりと届いた。

"兄妹"だからこうして一緒にいることが当然で、頭を撫でてくれることが当然なんだろう。
気づかされてしまい、しくしくと萎んでいく気持ちに気づくことなく、タカさんは教室へ戻るべく回れ右をして歩きだす。


「…お兄ちゃんみたいだなんて、思ってないのに」


声に出してつぶやいて、先を歩くタカさんの背中を見つめる。
どうやったら妹のポジションから抜け出すことができるのだろう。身長が伸びたら? 気持ちを伝える勇気が出れば? クラス公認の仲を否定してみたら? さまざまな思いは巡るが、妹のポジションだからこそ、タカさんの手が私の頭を撫でてくれるのだと思えば、それも失い難い。

立ち止まっていた私に気づいたのか、振り向いてどうしたのだと小首を傾げたタカさんに慌てて隣に並ぶ。隣を見上げれば、こちらを見つめているタカさんとぱちりと目が合った。


のこと、妹みたいだなんて思ってないよ?」


聞こえていたんじゃないか。
一気に染まった頬を隠すように慌てて両手で包んでみせれば、可笑しそうに笑ったタカさんがまた、私の頭をその大きな手で優しく撫でた。



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