「本当に大丈夫なの?ツェン」

 ツェンはごくりと生唾を飲み込んだ。昨日より人は多いらしく、何やらどこかで音楽も聞こえる。人々の声はもっと大きく思えて、シヴォンの町は浮き立っているようだった。

「ええ、心配要りませんよ」

 彼は実際と正反対のことを口にした。ユーリアは、彼の足が少しだけ震えているのを知っている。両手がぎゅっと強く握られていることも知っている。

「無理はしないで、いつでもあたしのところに帰ってきてね」

「それには及びませんよ」

 ツェンは再び、人混みの中に1歩足を踏み出した。布に包んだあのとがった小石は、まるで護符のように右手に握られていた。自分でも、それをどうしたいのかはわからなかった。

 露店が多く並び、食べ物を焼いているようないい匂いが鼻をつく。それに混じって、向こうの方から海の匂いもした。ツェンの足は、自然に港の方へと向いていた。やろうとしていることの順番は昨日と同じらしい。無意識にそれを決めていたことが、緊張の中で何だか可笑しかった。

 空は青く、人々の間をすり抜けるようにして歩いていると、幾分か足の緊張も解けてきた。と、誰かがトンとすれ違いざまに自分の肩にぶつかって、転倒した。たちまち人が退き、ツェンは歩くのをやめて転倒した人に手を差し伸べる。何だか体つきががっしりしている男だ。

「失礼しました、大丈夫ですか?」

 相手は素直に差し伸べられた手を取って起き上がり、苦笑しながら彼に例を述べる。

「ああ、すまんなあ、あんちゃん・・・全く、週末になるとメイジアカデミー生がわんさか流れてきて困る」

 そういえば、今日は同じような服を着た者がやけに多い。確かにそうですねと相槌を打ちながら周りを見回していると、突然助け起こした相手があっと声を上げた。

「もしかしてあんちゃん、昨日の・・・」

「えっ?」

 それは偶然にも、昨日見た細身の漁師に師匠と呼ばれていた男だった。彼からは強い海の香りがして、日焼けした肌が健康そうに輝いていた。

「あっ、荷卸の人・・・」

「あっはっは、そっちで覚えていてくれたか、面白いもんだ」

 思わず変なことを呟いてしまったツェンに、その漁師の男は大声で豪快に笑ってそう言った。それがまた人混みの中で立ち止まって目立つものだから、周囲の目が2人に降り注ぐ。案の定、誰かがドラゴン使いと言ったのが聞こえた。

 彼は、耳に飛び込んできたその言葉に神経質に反応してあたりを見回す。その様子に気付いて、漁師の男は笑いを引っ込めて訊いた。

「あんちゃん、ラライーナだろ?シヴォンには滅多に来ない筈なのにここにいるってことは、何か用事があって来たんじゃねえのかい?」

 ラライーナと呼ばれたことに、ツェンは驚きを隠し切れなくて目を少し見開いた。

「あ、私は・・・漁師のオセアンという名の方を探していまして」

 すると、漁師は再び笑顔になって自分の胸を叩き、満足そうに言う。

「おう、紛れもなくこの俺のことじゃないか。何だい、もしかしてルイの使いだったりするのかい?」

 ルイを知っていたのか。オセアンその人なのならば、話は早い。ツェンがそう思って口を開きかけた瞬間だった。

「また来たな、ドラゴン使い!」

 咄嗟にその声の方を振り向くと、またあの幼い少年だった。その小さな手には、再び石が握られている。その人混みの向こうに、これまた昨日見た少年の母親が子供をやめさせようと必死に人混みを掻き分けて来ようとしているのが見えた。

「お前らがパパを殺したんだ!お前らが“せんそう”をやったんだ!」

 彼は再びその場に凍りついた。もともとこうなったのは誰のせいだと思っているのだろう?歴史を辿ってみると、人間やエルフが何らかの理由はあれど、豊かさを求めてラライーナの住む土地を奪ってさえいなければ、サントゥール王のあのような復讐未遂など起こらずに済んだものを。そのようなどす黒い想いが腹の底から沸き上がってきたが、相手はまだ何も知らない子供なのだ。ツェンは目を伏せてごくりと喉を鳴らした。どこかで悲鳴が聞こえたような気がする。そんな彼の様子を見て、オセアンが大声で幼い少年に向かって言った。

「おい、ガキ!戦ってのはな、特定の奴らが起こすもんじゃねえんだ。時代が必然的にそうさせてんだよ。もともとラライーナを痛めつけたのは、誰だと思ってんだ?」

 その幼い少年は漁師に向かって何かを言い返そうと口を開きかけたが、突如それを大きな影が遮った。一瞬で頭上が暗くなり、バサリという大きな風の音に皆は慌てて空を見上げた。

「ゆ、ユーリア!」

 ツェンは真っ青になった。人々が悲鳴を上げて、その下から逃れようとしてたちまち押し合いへし合いの大騒ぎとなる。彼はラライーナの言葉でドラゴンに向かって大声で叫んだ。

「ユーリア、やめて下さい。どうしてここに来たのですか」

 オセアンが、わけがわからないという目で彼を見た。少年と母親はもみくちゃにされていたが、何とかお互いに抱き合ってそのまま動かずに空を見つめていた。陽気な音楽は止み、武器を持つ者がドラゴンにそれを向けている。そんなことは全く気にせず、ユーリアは下にいるパートナーに向かって吼えた。

「あなたが心配だったから」







 逃げていく人々を店の中から見て、フローライトは不思議に思った。店には全く誰も来ず、ずっと暇だったので自分が出て行っても誰も困らないだろう。実際、この店・・・魔石屋に用のある者なんて、よっぽどの変わり者でもない限りいない。彼は毎日暇だった。その暇も、外の騒ぎで多少紛れるような気がする。彼はただ好奇心で窓の外を覗いてみた。

「フローライト、大変だ!ドラゴンが上空に来てる」

 と、近所に住んでいる鍛冶屋の男がその外から慌てて声を掛けてきた。まさかと思って窓から身を乗り出して鍛冶屋の指差す方を見てみれば、大きな体と翼が見えて、空中に留まっているようだということまでわかった。

「・・・久し振りに見ますねえ」

 のんびりと言ってのけた彼に、男は憤慨して抗議の声を上げる。

「そんなのんきなこと言ってる場合か!見たことあるんならどうにかしてくれ」

 フローライトはうーんと首を傾げたが、次の瞬間にはさっと身を翻して店の奥へと引っ込んだ。数秒後に戻ってきた彼の手には、青い石の美しい槍が握られていた。

「少し様子を見てきますね。貴方は安全な所へ逃げてください・・・といっても、あのドラゴンは多分何もしてこないでしょうけど」

「ああ、わかった!とりあえず・・・無事でな」

 フローライトは店の外へ出て、走り出した。途中から走るのが面倒くさくなって、背中の翼を羽ばたかせてそのまま問題の場所まで向かうことにした。彼は思う、あのドラゴンの体の色と最近海から大量に上がってくる魔石の色とがとてもよく似ていることを。









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