出来れば今日はもう誰とも会いたくはなかったが、用事を果たせなかったことはルイに言っておかねばならない。気持ちがある程度落ち着いてからツェンはのそのそと起き上がり、のろのろとルイのいる場所へと向かった。ユーリアの姿は見えず、それがまた彼の気を重くさせた。

「ああ、お帰りツェン・・・どうしたんだい?」

 疲れた暗い顔で自分の前に姿を現した彼を見て、ルイは何かあったのだろうかと思った。自分が頼んだ用事は済ませていないのであろう。でなければ何も持っていない筈はないし、こんなに暗い表情をしている筈もない。ツェンは、右手を開いて差し出した。

「・・・石を、投げられました。まだ幼い少年でした、先の戦いで父親を失ったそうです・・・まるで、私達ラライーナが全部悪いと言わんばかりに」

 その手の平には、投げられた石があった。ルイは複雑な表情でそれを見つめ、ややあって両手でその右手を包み込んで自身の術で血の滴り落ちる手の傷を癒した。痛みは消えたが、彼の心はまだ重かった。

「・・・何故ですか」

「えっ?」

 ツェンの問いかけに、ルイは顔を上げた。歪んだ悲しげな表情が座っている自分を見下ろしている。

「何故、私達はこのような扱いを受けねばならないのですか?今に限ったことではなく、遠くレファントの地に住んでいた昔から。戦いでの人殺しという悪事を働いたのは、お互い様の筈なのに」

 ルイは薄く開けていた口を閉じる。相手の手の中にある石を取り上げて、傍のテーブルの上に置いた。それから、同じくテーブルの上に置きっぱなしの使っていないカップを2つ取って、地面に置いていたポットから茶を注ぐ。どうやら淹れ立てのようで、湯気が立っていた。彼はそれを差し出して、椅子を座れるようにと引きながら喋る。

「思考する動物というのは、そういうものだよ。自分の下に必ず誰かを置いておかないと、不安で不安でたまらなくなる。だけど、それと同時に人をそこに置くことに罪悪感も覚えているんだろうね。結局のところ、我々はどちらにしても・・・不安で不安で仕方がないんだよ」

 ツェンは遠慮なく椅子に腰掛けた。そして、窓の外を見つめているルイに向かって、こう言う。

「互いにじっくり話し合えば解決するでしょうに」

 昼下がりの木漏れ日が踊る外から目を離し、彼は同調した。

「まあ、そうなんだけど。大抵の人は、寿命が長めのメイジやエルフでもない限り、寿命が短い。つまり、話し合うだけの時間がない。それに、思考する動物はそれぞれ違った考え方を持つから、尚更難しいのさ」

 2人はそこで同時に茶を飲んだ。

「でも、可能性がないわけではないでしょう」

 ツェンは右手を見ながら言った。ルイは、このラライーナ直系の人は、またメイジと同列の力を持つことを思い出した。

「まあ、ね。その人次第だけどね・・・何でもかんでも決め付けるんじゃなくて、見たままを、直接聞いたままを信じるのが第一なんだよ。個人個人がそうやってある程度理解して、こういうものだって割り切って付き合っていけたら、まだましになるかもしれないけど。

 とにかく、純粋であれ、ってところだろうかね」

 ラライーナのメイジはやわらかい笑顔でそう言った。また茶をすするその仕草は恐ろしく綺麗で爽やかで、澄んだ空を駆け巡る風を一瞬思わせる。ツェンは呟いた。

「・・・それを、伝えてみます」

「熱心だね」

 ルイはそう言って少年のように笑った。それにつられて自分も少しだけ笑い、彼を真っ直ぐ見つめる。

「私達にとっても、彼らにとっても気持ちのいい関係であらなければ、生きていて不快で仕方ありませんから。双方が互いを否定しあうのではなく、双方が互いに分かり合える道を探します。そうすれば、互いに色々なことを学びあえて得ともなるでしょう。

 あなたの今の言葉を聞いていて、そう思いました」

「そうだね、聞いていてくれてありがとう。そうすれば皆、不安を和らげることが出来るかもしれないね。ツェン、君は彼らにどんな風に接してもらいたい?」

 そう問われ、ツェンは少し考えることもなく即座に言う。

「・・・普通に、同じ仲間として」

「彼らに、そんな風に接しているかい?」

 彼は、はっとしてルイを見た。その人はまた茶を飲んで喋る。

「自分がされたいと思うことを、他人にしてやりなさい。そうすれば、気持ちよく生活できると思うから」





 あれほど気が重かったのに、自分の小屋へ戻る頃にはもうそんな気分は風に吹き飛ばされてしまったように消えてなくなっていた。明日再びシヴォンへ飛ぶことを約束して、ツェンは町の夕暮れの中を歩いていた。茜色に染まった空と雲は美しく、西の空の深い青の色はユーリアの美しい色の体と瞳を連想させた。と、頭上に大きな黒い影が差したかと思うと、何処かへ行っていたらしいユーリアが自分の目の前へ突風と地響きと共に降り立った。

「ツェン!」

「お帰り、ユーリア」

 自分の名を呼んで擦り寄ってくる彼女の首を撫でていると、その大きな体から海の匂いがすることに気付いた。

「海にでも行っていたのですか?」

「うん。魚も結構美味しいのよ。海って綺麗だよね、キラキラしててゆったりしてる」

 そして、あっと言って彼の顔を覗き込む。その深い青の瞳は心配そうな光をたたえて海の底のように揺れていた。

「ツェンはもう大丈夫なの?」

「ええ、おかげさまで大分気は晴れましたよ。ルイさんに傷も手当していただいて、話していました」

 ユーリアが鼻先で彼の右手に触れる。そこには、とがったあの石が今度は布に包まれて握られていた。握っていた手を開いてそれを見せると、ドラゴンは頭を引っ込めて首を傾げる。

「明日はどうするの?」

「またシヴォンへと行くつもりですよ。一緒に行ってくれますか?」

 彼女の深い青の体は夕日に照らされてとても美しく輝いていた。所々魚の血らしきもので汚れてはいたが、それを差し引いても普段の彼女に劣りはしない。ユーリアは大きく頷いた。

「勿論!あたしがいなかったら、ツェンは何処にも行けないから」

 そして、彼女は大きな欠伸をして数回瞬きする。動作は大きく、口を開けた時に鋭い牙が何本もギラリと光るのが見えたが、ツェンには可愛らしく思えた。生まれた時からずっと自分が傍に居たからだろう。彼らは最初から申し合わせていたように、それから湖の方へと歩いていった。









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