「・・・新しいドラゴン、ですか?」

 ドラゴン使い――現在はラライーナというが――の血を受け継いだサントゥール王の復讐をどうにか食い止めて、レファントとサントレキア両大陸は混乱を免れた。

「うん、君のパートナーのフィーメルは今度の新人教育の為に力を貸してくれることになってね」

 ラライーナの少女とアカデミー生であった少年が種族間の誤解を何とか解いて、その関係は改善に向かっている。だが、まだ彼らに対する・・・黒髪に鳶色の瞳を持つ人種に対する偏見は抜け切ってはいない。かつてドラゴン達を、自分たちの土地を護る為に酷使しようとした者だという認識はまだ根強く残っていた。いつかの伝説では、人間のような外見に姿を変えることが出来るというヒュムノドラゴンの一族が、数百年前のレファントの攻防戦でのラライーナについて愚痴をこぼしていたという。

 穏やかになっていく世の流れの中で、ツェン=リーベルは25歳になった。他種族の自分達に対する態度があまり改善されない中、まさに今彼はパートナーの明け渡しを求められていた。

「だから、君に卵を一つ用意してあるんだ」

 目の前に座っている人は、年齢に似合わぬ若々しくて美しい顔立ちをしている。既に40は超えている筈だ。だが、300年以上生きるという術使いの種族・メイジではない。彼は術を使うことは出来るが、老いは止めることが出来ないのだから。名はルイ=レフィエール、ラライーナの直系の子孫だ。

 さて、ツェンの方はパートナーの明け渡しのショックなどは忘れて、頭の中は卵のことで一杯になっていた。孵化に立ち会えるということか。彼は感情を表には出さなかったが、心は躍っていた。はい、と返事も早々に一礼をして、フィーメルと話がしたくてその場を立ち去った。





 皆が見守る中、おが屑の上に乗った卵の殻の表面に大きな亀裂が走る。ツェンはごくりと唾を飲み込んで、それをじっと見つめた――生まれる。そう思った瞬間殻が真っ二つに割れて、おが屑の上に転がった。周囲が息を飲んだのが聞こえた。

 赤ん坊のドラゴンは、おぼつかない足取りでおが屑の外へと1歩踏み出した。ふるふると頭を振って、周囲をきょろきょろと見渡す。ツェンは何も言えずにそれを見つめていた・・・初めてだ。赤ん坊のドラゴンはそこで大きな欠伸をして、頭の大きさにはいささか不釣合いなくらいの大きな瞳で、彼を見た。

「初めてなの?」

 話しかけられ、ツェンはびっくりした。今しがた自分が思っていたことと同じだったからだ。彼がドラゴンの孵化を見たのはこれが初めてだったが、そのことは誰にも言っていない筈だ・・・表情でわかったのだろうか?

「あ、ええ・・・」

 つっかえながらそう答えると、赤ん坊のドラゴンはすぐにこう言った。

「あたしの名前?」

 彼は、そこで初めて気が付いた。まるで、自分の見えているものの中から一時的に色というものがなくなっていたみたいだ。メスのようで、深い青のウロコのドラゴンだった。彼女は自分の体についている粘液を手で掻くようにしてぬぐっている。それを見かねて、自分の首に巻いていた布で小さな体を拭いて粘液をぬぐうのを手伝ってやった。そこで、はっと思いつく。

「ユーリア」

 大き目のスイカぐらいの大きさのドラゴンは、つぶらな瞳でツェンを見る。体と同じ色の深い青の瞳に吸い込まれるような気がした。

「あたしの名前は・・・ユーリア?」

「ええ」

 ユーリアは満足気に小さく唸った。足にその小さな体をこすり付けてくるのが可愛らしく思えて両手で彼女を包んで抱き上げれば、ペロリと頬を舐められる。くすぐったくて、彼は少し微笑んだ。





 3ヶ月経つとユーリアは馬ぐらいの大きさになって空を飛ぶようになった。ルイに言わせれば、人を乗せて飛べるようになるまでもう少しだという。その間に、この小さなドラゴンは栄養と一緒に膨大な量の知識も吸収していった。レファントの歴史のこと、ドラゴンと言葉が交わせるのはラライーナだけだということ、現在の種族間にそれがどのような影響を与えているか、他種族がドラゴンのことをどう思っているか。

「じゃあ、本来と違ってあたしがツェンや他の皆に育てられてるって人間やエルフが聞いたら、彼らはあまりよく思わないんじゃないの?」

 ユーリアはそんなことを一度ツェンに訊いた。丁度、種族間のいざこざの説明をしている時だっただろうか。

「ええ、そうでしょうね・・・しかし、私達はラライーナです。ドラゴンを“使う”わけではありません」

 賢い彼女にはそれだけで十分だった。ふふんと唸って、そのときは再びツェンの話に聞き入っていた。そんなことを繰り返し、生まれてから半年ほど経った頃には既に討論好きなラライーナ達と互角に渡りあえるぐらいにまで能力が発達していた。ツェンでは到底適わなくなってしまったが、それでもユーリアは彼の傍にいた。

 体の大きさは、寝そべると4人家族が暮らすような平屋と同じぐらいの大きさにまでなっていた。それと同時に食べる量も半端ではなくなってきたので、彼女は1頭だけで森の中に狩りへ行くようにもなった。食後帰ってきた彼女を近くの湖の水で綺麗にしてやるのも彼の日課となった。帰ってくる彼女の体からは、海にでも行っているのか、潮の香りがすることもあった。また、ウロコに何やらキラキラしたものが付着している時もあった。

 「大きくなったから、これも大変だ」

 そう言った時には尻尾でしこたま水をかけられてずぶぬれになり、服が乾くまで腰に布を巻きつけたままの格好でいなければならなかった。仲間達にからかわれたりもしたが、ツェンはそれでもユーリアの水浴びには一緒に行った。彼女が豪快に水飛沫を上げてはしゃぐのを見るのは、見ていて気持ちがよかった。

 ラライーナが住むこの大陸の北の海にあるずっと小さなサントレキア大陸の、その上に浮かぶ浮遊島に住んでいるルイの小さな町への滞在は、これで半年を数えた。新しく教育されている少年少女のラライーナ達はある程度フィーメルや他のドラゴンを乗りこなすことが出来るようになっていた。いつの間にかユーリアももう一回り大きくなって、ツェンを乗せて空を飛び回るようになっていた。彼らは目覚しい進歩を遂げている筈だったが、ルイはあることに気付いていた。

「おかしいな・・・半年も経ったら何か力を使ってくる兆候が見られる筈なんだけど」

「風系のドラゴンではないのですか?」

 考え込む彼にそう言えば、こんな答えが返ってくる。

「いや、翼がそこまで長く伸びていない。また俺のドラゴンのフィージアと比べてみるとわかるけど」

 そして、ユーリアは水使いなのかもしれないな、と呟いた。体と瞳の色からおそらく判断しているのだろう。しかし、彼女にはウォーテルドラゴン種によく見られる翼が短いという特徴がない。それを伝えれば、ルイは眉間のしわを増やして再び考え込もうとしたが、数分も経たぬうちに大声を上げて天井を向いたのでツェンはびっくりした。

「もういい。そのうち見てりゃわかるだろう!わからないうちからあれやこれや想像しても無駄なだけさ」

 開き直ってしまったようだ。転移の術を使う時にかかとを両方残していったり、考えることが多くなるとすぐに煮詰まってしまったりするあたり、この人はどこか抜けている。それも、持ち前の綺麗な笑顔で済まされてしまうのだから不思議なものだ。彼はそう思って、溜め息をついた。

「もう少し様子を見ましょう」

「うん、そうだな・・・ところでツェン」

 ルイは大げさに頷いてから、ツェンの右肩に左手をぽんと置いて話題を変えた。何かあるのだろうか?

「何かあるのですか?」

「うん。ちょっと北のシヴォンの方に行ってきてほしいんだ。何でも、あそこでしか手に入らない魚が今、大漁らしいんだ。それと同時に、どうやら海の中にあった魔石も何故か沢山上がってきているらしい。漁師の所と魔石の店に様子を見に行ってきてくれないかい?両方とも俺の知り合いで、ルイの使いだって言えばわかってくれるから」

 1つ目は明らかに自分の好みだろうと、話を聞いていた彼には思えた。だが、2つ目は少し気になる現象だ。一定の力を持つその石が訳もなく大量に上がってくる筈はないのだから。ツェンはこくりと頷いた。

「わかりました、魔石の店・・・ですね?」

「漁師の方も、だよ。彼の方は、名前はオセアンでがっちりした体系の茶髪の野郎さ。魔石の方は、名前はフローライト、こっちはすぐにわかる。背中に白い翼がある飛天族の男だから」

 茶髪のがっしりした男に、飛天族の男。頭の中にそう刻み付けておいて、ツェンは呟いた。

「・・・物好きな飛天族ですね、彼らは自分達の島から殆ど出たりはしない筈なのに」

「まあね。でも、フローライトは広い世界を見てみたかったらしいよ、仲間の一人に影響されて」

「・・・ふうん」

 とにかく用事はわかった。行ってきますとルイに言って、彼は行ってらっしゃいを聞きながらユーリアの方へと向かうことにした。





 森から1歩出ればシヴォンの港町が始まる。ここで大人しく待っていて下さいねとユーリアに言って、ツェンは彼女に背を向けて歩き出そうとした。

「いつ帰ってくるの?」

 呼び止められて振り返ると、不安そうな表情が深い青の瞳に表れていた。彼は大丈夫ですよと言ってその首を撫でる。

「数時間かかると思いますが、なるべく早く戻ってきます。何、心配することはありません」

 彼女はわかってるわ、と唸った。

「だけど・・・あたしが、心配なのよ。町の人達があなたのことをどう見て、どう思うのか」

 ラライーナ・・・ドラゴン使いは、他の種族の人々にとって憧れと強さ、権力の象徴であるドラゴンと共に生き、戦い、時には操りあうのを疎まれ、そのせいか迫害されてきた。もともとレファントの豊かな地に住んでいたラライーナを未開の地へと追い出したのも、他の種族達だ。そんな彼らの偏見の目でパートナーが見られるのが嫌なのだろう。

「だから、大丈夫だって。私が死んだりするわけではありませんから」

 ツェンはユーリアを安心させるために少し微笑んで、撫でている太い首をぽんぽんと叩く。そして、気をつけてねと訴えかけてくる彼女に後ろ手を上げてからその場を後にした。

 シヴォンの港町は人がいつもより多いらしい。先程すれ違った人々が互いにそう話し合っていた。確かに露店が多く、荷馬車や牛が道を行き交い、話し声が絶え間なく沢山耳の中に入ってきた。かなり着飾った女性がそこかしこを歩いていて、道の両側を眺めながら歩いていると服飾店も少なくない。自分が普段の民族衣装を着ていることに、彼は少々肩身が狭いような気がした。

 さて、漁師のオセアンか魔石店のフローライトの所か、どちらの方へ先に行こう。何となく、自分が気になっている魔石の方は後でじっくり聞きたいので、ルイの個人的な魚の用事の方へ先に行くことにしようか、と思った。それに、背中に翼を持つ飛天族に会って喋るなんてそんなに出来ることではない。以前会った黒い翼の、変っていると言われていた者と違って、やはり白いのだろうか。ツェンは、楽しみを後に取っておく主義だった。それはいいのだが、港の方向はどっちだ?

 ふと脇を見ると、雑多な麻の服を着て体中から潮の香りを発散させている者が大急ぎで通り過ぎて行った。その後を目で追うと、遠くの方に帆船の帆が揺れているのが見えた。そして、その方向から海の香りが風に乗ってここまで届いてくる。あっちの方だろうかと思い、立ち止まろうとしていた彼は再び歩き出した。と、その時。

「――ドラゴン」

 誰かがそう呟いたのが聞こえた。何だか左の方から聞こえたような気がして、急いでそちらを振り返る。だが、こちらを見ている者は誰もおらず、ただ道端で喋っている集団が目に入っただけだった。と、その中の1人と視線が合ってしまった。彼は――男だったのだが、一瞬目を丸くして何かを呟き、集団全員が動けなくなってしまったツェンを振り返った。

「珍しいこともあるもんだな・・・あの民族がシヴォンにいるなんて」

 その中のまた1人がそう呟いた。周りの音がやけに大きく感じられて、たちまち顔に血が上るのを感じる。彼はどうすればよいかわからなくなって、勢いでその集団に向かって一礼をして、早足でその場を立ち去ることにした。後ろの方で、どっと笑い声が上がるのを振り返りたくなかった。

 臆病者、とツェンは自分を心の中で叱った。あのくらいで動揺してどうする。訳もわからず恥ずかしさで頭の中が一杯になって、周りが見えなくなっていた。気がつけば、前方からやってきた誰かと思いっきり正面衝突してしまった。相手が、派手にひっくり返る。

「い、痛てて・・・」

 呻き声を上げたその人の体からは潮の香りが強くして、漁師であることがわかった。だが、細身で砂色の髪のあたりを見ると探しているオセアンという人ではない。彼の腕を取って優しく引っ張り上げながら、ツェンは詫びの言葉を口にした。

「申し訳ありません、私が余所見をしていたばかりに・・・」

「いや、いや。しょうがないさ、こんなに人が多いんだから。ぶつかるのなんてよくあること――」

 漁師は苦笑しながら言ったが、途中で言葉を切ってまじまじと目の前にいる彼を見つめた。どうやら、今しがた自分がぶつかった相手が誰であるかに気付いたらしい。その次には驚きから生まれた言葉が漁師の口からこぼれていた。

「・・・驚いた。あんた、ドラゴン使いじゃないか。何だってこんな所を歩いているんだ?」

 その言葉はあまりにも音量が大きく調子が高かったので、周りを歩いている人が気付かないわけはなく、皆が一斉に自分達を振り返る。ツェンはその場に凍り付いて漁師を見つめることしか出来なかった。振り返った人々の口から、何でこんな所に、とかドラゴン使いが、などといった言葉が聞こえた。その音達はさっきよりもはっきりと大きく耳に木霊する。

「あ・・・」

 全ての目が自分に注がれているような気がして、彼は周囲をきょろきょろ見回した。とても不安だった。まだ偏見が抜け切っていない現在に、ここで自分達の恥を晒すことだけはしたくなかった。

 と、何かが飛んでくるような音がして、ツェンは咄嗟に右手を上げて飛んで来たものを受け止めた。手の中に鋭い痛みが走ったので顔をしかめて握ったものを見てみれば、先のとがったそこらに落ちているような石だった。右手のあちこちに傷が出来て、血が流れ出た。

「ドラゴン使いは森に帰れ!」

 見れば、小さな子供が自分に向かって叫んでいた。その場から逃げ出したくなったが、奥歯を噛み締めてそこにしっかり立つ。と、母親らしき人が前に出てきて申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい、この子は・・・先の戦いで父を亡くしてしまったの。でも、こんなことをしていい筈はない・・・許してくださいね。さあ、もう行きましょう・・・」

 本当は手当てでもして貰うべきだったのかもしれない。だが、あの行動は最善のものだと彼には思えた。喚く子供をなだめながら向こうの方へ引っ張っていく母親を、ツェンは血の気の失せた顔で見送っていた。ラライーナ達が参加していた、サントゥール王の復讐を止める為のあの戦い。大半は王の復讐に加担していた。家族を失ってしまった幼い子供の痛みと恨みは、取り除くことは出来ない。

「・・・兄ちゃん、すまんな・・・大丈夫か?」

 漁師が彼に向かって言った。と、その細っこい腕を誰かが掴んでいきなり怒鳴りつける。

「いつまで油を売ってやがる、荷卸はどうした荷卸は!今の大漁の時期に働かなきゃ埒があかんのだからこんな所でさぼっている暇はねえ!」

 ガタイのよさと茶色い髪。もしかしたら探しているオセアンかもしれなかった。ツェンはそれに気付いて話しかけようとしたが、細身の漁師が抗議の声を上げる方が先だった。

「しょうがねーじゃん、師匠!ドラゴン使いの兄ちゃんがここで困ってんだから放っとけねーだろ」

 それが再び大声だったので、また何が起こったのかと周りの行き交う人々が彼らを振り返った。我慢が出来なくて、これ以上好奇の目に晒されるのが嫌で、ツェンはうつむいて血の滴る右手を握り締める。

「・・・私は」

 思いの外、大きな声が出た。2人の漁師はびっくりして彼を見る。

「私は、ラライーナです。ドラゴンを・・・私達のパートナーを“使う”わけではありません!」

 叫んで初めて、自分が今にも泣き出しそうになっていることに気が付いた。心の中に渦巻く感情は怒りであり、悲しみであり、どうしようもない後悔と悔しさだった。このまま消えてしまいたくて、自分がここにいること自体が情けなくて、彼はくるりと来た道を振り返って走り出した。

 後ろは二度と振り返らなかった。2人の漁師が唖然として見送っているのにも気付かなかった。何も持って戻らずに短時間で帰ってきたツェンの様子を見てユーリアは何があったのか聞きたがったが、彼はそれも無視して町へ帰るように急かした。









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