風の還る所



 馬上の騎士が視界に映り、倒れてゆくこの体はその屈強な影を受け止める。

 自分の持つ杖が手から離れ、己の腹から噴き出す紅の命を浴びた。きらり、と天空からの光に煌めくのは鍛え上げられた一振りの長剣で、それは死そのものとして再びゆっくり、ゆっくりと向かってくる。

 いや、違う。ゆっくり見えるだけだ。

 その切っ先に、大好きだった仲間の瞳の光を見付けた。鋼の奥に、母親のような慈悲を垣間見た。数多の命を奪ってきた自分の風の術が孕んでいる、終わりを感じた。

 しかし、記憶の底から飛び出してくるものは、終わりのない想い。






 彼の名はアイゼルヘリオスといった。生まれてから85年ずっと王都にいた自分と違って、水使いのアイゼルヘリオスは40歳で旅に出て行った。好奇心旺盛で茶目っ気たっぷりなその仲間は、自分と同じ、数十年程の寿命を持つ人間と何千年も生き長らえる古代からの術使いの種族、エルフとの間に生まれた術使いの亜人だ。人間の4倍ぐらい生きて、成長も4倍遅い。水だの火だのを当てはめてなんたら使いとか、メイジ、なんてよく呼ばれる。

 時折、アイゼルヘリオスは不思議な微笑みを見せた。


「どうしたんだい、アイゼル」

 気になって、一回訊いてみたことがある。それは彼が旅立つ少し前で、王城の塔の天辺まで登って涼んでいた夏のこと。

「……いや、僕もそろそろ生まれて40年になるけど、まだまだ知らないことは沢山あるし、もっと知りたいなあ、と思って」

 もしもこれで自分達が人間だったら、とその時思って、かなり可笑しかったけれど笑わないでおいた。傍から見れば、見た目が15歳と12歳ぐらいの少年2人が世迷い事をほざいているだけにしか思えなかっただろう。

「本を読めばいいじゃないか。沢山あるだろう、城の蔵書庫に」

「城にあるものは40年のうちにほとんど読んじゃったよ」

 何十年も前から続けてきた術の訓練の間に、彼は膨大な量の書物を読んでいたのだろうか。だとしたら、アイゼルヘリオスは寝る暇がなかったんじゃないかと思えて、心配になったのだ。気が付いたら訊いていた。

「ちゃんと寝てたのかい、アイゼル」

「うん、それはもう、ばっちり」

 少し棘を含んだ口調に、彼は穏やかな声で返してくれるのだ。まだ声の高さは変わっていないのにとても大人びていた。

 きっと、40年の月日が彼の中には綺麗に積み重なっていて、たまにこうやってにじみ出てくるのだろう。自分はどうだろう、と思っても、30年以上前と何ら変わりがないように感じて、君はすごいよねと呟きながら雲の多い空を見上げていた。






 はっきり覚えている。

 彼は今、自分と同じ戦場にいる。何十年もかけて手に入れた水と氷の術を歌いながら、アイゼルヘリオスはこの大地を駆け回っているのだろうか。水使いは無事だろうか。

 自分の体が無事でないのに、と気付いた。

 刃は、まだ来ない。あの友人の放つ術のように冷たい宙の中で永遠に浮いているような気がしていた。これも次の瞬間には消えてなくなってしまうのだろうか、と思った瞬間、己を己だと感じることの出来ない未知の世界への恐怖が全身を支配した。

 喉が震え、何かを勝手に叫んでいる。助けてアイゼル、とも聞こえるし、消えたくない、とも言っている。






 そこで1人の少年を思い出すのだ。いや、もう彼は青年だろう。

 人間の男の子だ。普段あまり見ることが出来ない短い黒髪と薄い灰色の瞳がとても印象的だった。初めて会った時、冷たくて寂しい何かをその体から放っていたことを覚えている。

 彼の名前は、シェンダルだった。長いから、皆は縮めてシンと呼ぶのだ。自分やアイゼルヘリオスのように術は使えない。使えないからこそ、自分達には強すぎて使えないぐらいの力を孕んだ石を託されたのだ。至らない術士がそれを持っている時に術を使うと、暴発してしまう。ある程度なら、術の威力を増す為にも使えるのだけれど。

 身寄りをなくしたシンは、その町の防衛ギルドに引き取られ、そこで生活するようになった。アイゼルヘリオスも一時期一緒だったらしく、少年が来た時には既にそのギルドの建物の、一番高くて見晴らしの良い部屋で何年も暮らしていたらしい。水使いからたまに鳥を経由してやってくる手紙のうちの1通には、心を閉ざした冷たい灰色の世界を持つ男の子のことが書いてある。

 ああ、それはまだ、城の自分の部屋にある筈だ。

 シンがギルドに来てしばらく経ったある日の夜に、初仕事が待っていたのだという。彼はそれほど大柄でなく、またすばしっこかったし、そのしばらくの間に防衛ギルドの訓練なんてあまり必要ない位に力を付けていった。それを見込んだのがその時のギルドの親方だった、ホークというおじさん。人間から見ておじさんだから、今の自分の半分ぐらいの年齢だったのではないか。

 その日の夜の件は、侵入を繰り返す北側の国の兵士から1人の少女を守る、ということだった。

 消滅という未知の世界をずっと身近に感じてきたのであろう。だから、彼は幾分しんどそうに、少女を助けだした時のことを語ってくれたのだ。エルオーネという少女の家族を救えず家を焼かれ、その上同行していたホークと他のギルド員を皆失い、少女が首にかけていた大きめの石のペンダントの力が暴発して、彼ら2人を殺そうとしていた何人もの兵士を消してしまったその出来事。少年の左頬から顎にかけて、深い切り傷の痕があった。

 それは今も変わらないのだろう。

 エルオーネという少女は、人間の術士だ。小さな町を出て南に行くと、だだっ広い丘があって、そこに家族と住んでいた。

「あの時エルオーネが首にかけていた石のペンダント、今は俺が持ってます。元の場所に返したいから」

 身に付けるのならば小指の先くらいの石が基準だったのだけれど、彼が持っていたのは幼子の握り拳の半分ほどもあった。

 小さな小さな町、村と言ってもいいような所で生まれ育った彼は、15歳の時に両親を殺された。それも、目の前で。

 だけど、その時自分は何も言うことが出来なかった。南の国の城には色々な秘密が沢山ありすぎて、そんなに大きな力を孕んだ石が一体何であるかなんて、ばらすことは無理だったからだ。

 どんなに口が堅くても、王と術士以外の者が王都の鐘撞きの塔の最上階にあるもののことを知ったりすれば、その時は永久に砂漠行きなのだ。

 そのような悪しき慣習は、今はない。国の民衆は、なぜ、何の為に戦っているのかを知りたがる。知らないと、もっと大変なことになるからだ。

 小さな大陸の南側にあるこの国、トレキアの歴史だ。






 歴史は、自分の時間は止まっているのだろうか。

 色々なことが溢れ出して、どうにかなってしまいそうだ。

 もう、どうにもならないことには気付いていた。だから、叫びと恐怖に身をゆだね、自分の中にある何かを開放してやりたいと願いながら、想いを辿っていく。きっと、これは己の歴史。






 大陸の名はサントレキア、北の国はサントゥール。

 黒髪に鳶色の瞳をもつ、人間によく似ているけれどそうではない人々が、やっと定住し始めた人間達の住むサントレキア大陸にやってきたのは700年以上も前のことだ。同じような時期に、自分達と同じ亜人の術士と人間の術士達、1人のエルフも流れてきた。

 サントレキア大陸の大地で、幾つもの種族は混じっていき、それまでは全く存在しなかった黒髪の“人間”もちらほら出てくるようになった。1人のエルフと何人もの人間は、幾人もの亜人を生みだした。おおよそ200年の間に術を使う者が増え、大陸の人々は寒い寒い北の方まで住み着くようになったのだ。

 自分が北の国サントゥールの王と相見えた3回目の、その戦の後にそんな話をしてくれたエルフの名は、長すぎてはっきりと思い出せない。彼はその種族らしく、何処か謎めいた光を森のような瞳に映しながら言った。

「人々は、限度というものを知りませんよ。魔法使い達は、このままでは利用されるだけ利用されて終わってしまう。そう思った私達は、今の砂漠……かつて森だった所へ、出向いたのです」

 北の人々は、それを追って南の地を追撃した。いくら術の恩恵を受けているとはいえ、寒く荒れた地に暮らす彼らは貧しかった。

「だから、我々は魔法を使って、空へと上がることにしたのです。地上へ残る、と決めた者もいましたけどね。しかし、問題はそこからだったのですよ」

 エルフ達は、術のことを“魔法”と呼ぶ。何故かを訊いても、さあ何故でしょうね、と真顔で返された。

「……この話って、大陸へ来た人がそもそも問題だったんじゃ……」

「まあ、そうなんですけど」 

 思わず口をついて出た本音もちゃんと真っ直ぐ受け取って適格な答えを出してくれるエルフなんて、ほとんどいないらしい。他の仲間はもっと抽象的だと彼は言ってから、再び話を続けていった。

「大地が上がる時に、あろうことか地上に残っていた術士達が、魔法で固めた一番下の大きな塊を切り落としたのですよね。そこまでは1度目の戦いの時に貴方がたから聴きました。空中大陸は、ずっと空を漂っていく筈でした、下からは何の干渉を受けることもなく。下に帰りたいと思えば、それ専用の魔法がありますしね。しかし、大陸それ自体は同じ魔法を孕んでいます」

 同じ力は、引き合う。

 近くに術士がいると、例え切り落とされた小さな先端でも、使われた術に反応して力が強くなっていくとのこと。森が空中大陸になり、その跡が砂漠となった500年以上前に、そのようなことが起こったのだ。

 南の人は、その時略奪行為を繰り返しながら迫ってきていた北の人を、地上の術士と協力し、切り取った大陸の欠片の力を利用して、再び北へと追い返して線を引いた。エルフは、地上に残った彼自身の甥から大陸の欠片とそれにまつわる全てのことを除いて、積もり積もった色々な話を聞いたらしい。そして、自分も地上に伝わる話を知っている。

「甥はね、私の双子の妹がペガサス……馴染みないかもしれませんね、その背中に翼を持つ、純白の馬です……それと交わって出来た子なのです。彼女が言うには、人間らしき姿で近付いてきて、最後はその……翼のある馬の姿になって飛んで去って行った、らしいですよ……全く、信じられないですけど信じないわけにはいかない不思議なことです」

「何か証拠でもあったのかい、それ」

 初めて聞いた話に驚いて高い声を出した自分に対して、エルフは難しい顔をしてこくりと頷いた。

「甥に宿った魔法の力は、焔や水や光といったような私達が感じ取ることの出来る要素ではなく、言い表せないような……とにかく、人がいっぺんに何人も消えたりするような、謎めいたものでした」

 もう甥はいませんけど、と彼は呟いた。そうだ、エルフと人間の間の子と思っていい筈だから、その人も自分と同じ亜人で、術士だったのだ。700年も生きることは出来ない。

 最後に聞いたのはこんなことだった。自分も確認しておきたいことだった。

「甥は、南の国トレキアの王でした。その血筋はまだ絶えていません……ただ、謎めいた術を使う者は、知る限り2人います。今のトレキア国王と、国境付近の町……ミニョンにいる、エルオーネという少女でしょう、貴方がその存在を教えてくれた……シェンダルという少年が助けた子。
 貴方が言うには、彼女の父は国王の双子の弟だそうですね。当時王城にいた彼は鐘撞きの塔に隠されたものがいずれ国の脅威になると感じて、また城の人々がそれに気付くことを願って、小さな欠片を盗み出し王都から逃げたということですよね。
 だから、あの少年の首にかかっているあの石は、王都の鐘撞きの塔に押し込められている大陸の欠片の一部です、間違いなく。彼は今おそらく……サントレキアの南のバルキーズ大陸で、色々なことを、真実を知るでしょう。いえ、もう知っているかもしれません……1回目の戦の後に、私が貴方に話したことを」






 4年前の、サントゥールとの1回目の戦。その記憶と想いが何かを満たした途端に、そこで色々なものが途切れた。自分が何処にいてどうなっているのかわからない今、振り向くと、そこには見慣れたあの石のペンダントがあった。

 それに向かって伸ばした己の腕は、見えない。

 けれど、あの時と同じように石は穏やかに輝いている。今から自分が手放そうとしているもの、すなわち消えゆく光のような命よりも遥かに――






 復讐なのだ、とサントゥールの王は言う。700年前にサントレキアへと渡ってきた黒髪に鳶色の瞳を持つ人々は、南のバルキーズ大陸の森を捨てた。それは人間や術士のせいだ、と。荒れた土地からやってきた欲深い者達が、我々を追い出した。だから、噂に聞いた、南の国トレキアの誰かが所持している小さな石を利用して復讐を成し遂げるのだ、と。故に、同じ祖先を持ち、同じ想いを抱く兵士達や暗殺者達に南の国境を越えさせ、それを探すように仕向けているのだ、と。そうだ、それと同じようなことを、1回目の戦の後にエルフが言っていたのを思い出す。

 噂ではなく、3回目の戦の折に王自身と対峙した時のその言葉が全身を駆け巡り、気が付けば金属の防具を着けた腕が勝手に動いていた。

 刃を弾く鋭い音と主に、腹の底から雄叫びを上げる。一度、無機質なものに貫かれたこの体の何処に、大声を上げる力が残っていたのだろう。

 馬上の騎士の瞳と、自分の視線が出会った。

「復讐だから、何だっていうんだ」

 体勢を立て直し、叫んだ。左腕で刺された腹をかばい、古代の風の詩の一節を素早く歌って、丘の上を遊ぶ幾つもの流れを集める。

 いつの間にか、僕は戻ってきていた。永遠に流れていく風の記憶の呪縛から解き放たれ、サントレキアの大地の上に立っていた。

 ああ、ここは哀愁の丘と呼ばれていたっけ。僕が集めた風に恐れを抱いているのだろうか、栗毛の馬に乗る騎士以外は、誰もこっちに近付いてこないし逆に逃げていく。

 見上げた先の人の兜からはみ出しているのは、黒い髪。

「知っているのか、バルキーズに留まった我々の仲間が虐げられていることを。お前達には理解出来るのか、我々が今も受け継いでいる、豊かさを求めた者に追い出された、我々の祖先の心を」

「知ってるけど、わかるわけないよ、そんなもの。もう生きていない人の気持ちなんて、聞けやしないんだから」

 足元がぐらついた。風を集めすぎたような気がしていたけれど、目の前の、馬上に佇む騎士はびくともしない。栗毛の馬でさえ、ぴくりとも動かない。風を抱いている僕がふらふらしているのは、腹から紅色の命が流れ出ていっているからだ。そんなことはわかっていた。

 だけど、何か得体の知れない怒りと哀しみがまた口を動かすのだ。

「ここでわかる、って言ったら余計に、君達の先祖に、今もバルキーズで生きているその生き残りの人達に、失礼だよ」

 生温かい血は止まらない。

「……君の気持ちがわからないのに、無理だ」

「理解しようとも思っていないからなのではないか、それは」

「違う、僕達は……いや、僕は」

 遂に、体がよろけて膝をついてしまった。でも、視線は外さない。互いの瞳を見据えたまま、自分が抱く大切な何かを伝えたかった。

 風が、自由になって飛んでいく。僕は枷だった。そして僕自身も己の枷に囚われていたけれど、もうそろそろそれも終わりかもしれないと思うと、再び溢れてきた記憶の中にただひとつ、はっきりと見えるこの騎士にすがりたい、と強く願うのだ。

「……僕は、出来ないから……こそ、何処まで行けるかが……知り、たい」

 不思議なものだ。術を使えなくなって、風もただ約束の地へ向かう旅人のように決まった方へと泳いでいくのに、誰も僕に近寄らない。そんな世界に似つかわしくない、金属が大地を激しく打つ音がすぐそこで聴こえた。

「その体で何処まで行く気だ」

 きっと、僕の前に跪くこの人は強い。だから、相手方の兵士も寄ってこない。自分も、多分同じだ。1人で十分なのだ。だから、味方も来ない。故に、どちらも襲われない。

 そして皆は、己の命しか見えていない。

 逞しい腕で、肩と体を支えられた。ここは戦場だ。

「……何処まで、も」

「苦しいのか」

 自分が傷付けたくせに。あまりにも馬鹿な事を訊いてくる騎士の瞳の色は鳶色ではなく、明るい緑だった。

「……もうすぐ、終わるよ……」

 彼の双眸の奥に宿る光に、僕はまだ見ぬ森の若葉を想う。そこで初めて、掴み取ることが出来なかったあの石を、この両腕に抱けたような気がした。







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