あゆみ




僕は喧噪の中、台車の横に大きな布を敷いて座りながら彫っていた。

周りには様々な種類、大きさの木片が散乱している。水平にした台車の中には僕が作った木彫り細工や首飾りが入っていて、クロデキルドがにこにこしながらその脇に立っていた。僕が三日間家に閉じこもっていた時森で生きていたミミはすぐそこでおとなしく伏せている。

高原市場はとても賑やかだった。所狭しと様々な店が並び、そんなに広くない通りは人で溢れ返っている。この町の人ではない奇抜な服装の人や、何処から来たのか長く尖った耳のエルフがひとり、近くをうろついている。中には見たことのない、黒髪に茶色い目の民族までいた。

時々、立ち止まって商品や僕の手元を覗き込む人がいた。社交的なクロデキルドが明るい声で応対し、客と談笑している。ミミは何処かから来たエルフに相手をして貰っていて嬉しそうだ。おかげで首飾りが幾つか売れていった。

黒と白のタレ耳を人の腰の高さ近くで揺らしながら座って撫でられているのをぼうっと眺めていると、正面の店で様々な服飾品を物色していたエルフがこちらを向いた。父や僕と同じ緑色の瞳に、エルカ木材のような薄い髪の色をしている。身に着けているマントは裾が擦り切れていた、旅人なのだろうか。男だ。

彼は僕に話しかけ、名前やら年齢やら色々なことを訊いてからドラゴンの首飾りを手に取り、色々な角度から眺め、満足したように頷いてからそれを買っていった。

「やっぱりあなた、一人でも大丈夫だと思うんだけど」

横からクロデキルドに言われたけれど、それは違うと思う。そもそも彼女がいなければ僕はここにはいなかっただろう。そう言いたかったがこっ恥ずかしくて僕は再び手元へと視線を戻した。

一か月の間にまた伸びた髪が前へと落ちてくる。あまりにも邪魔なので首飾り用の革紐を一本拝借してうなじのあたりで一括りにしていると、誰かの両足が目の前でぴたりと僕の方を向いて、止まった。

僕は黙って髪を括り終え、彫る手を動かしながら“誰か”が話しかけてくるのを待ったが、相手は何も言わない。ただ彫るのを観察しているのだろうか、などと思いながら目の前の人を見上げた瞬間、心臓が跳ね上がった。

「……シギベル……ト……?」

「よう、デリク」

シギベルトは一か月前のあの時よりもうつむいて、まるでしおれた花のようだった。

頬の肉がこわばったのが自分でもわかる。口からついて出てきたのは思ったよりも冷たい声だった。

「……何しに来たんだ」

感じる、クロデキルドの視線が痛い。

「……渡したいものがあって来たんだ」

「誰かからの言伝かい?」

と、そこで彼が膝を折って目線を合わせてきた。あぐらをかいている僕とほぼ同じ高さだ。見つめてくる瞳は真っ直ぐで、曇りは全くない。そらしてはいけないような気がした。

「違う、俺から……これ」

彼は僕に向かって何やら両手一杯の大きさの箱を差し出してきた。少し振ってみると、中で転がるような音がする。

「君から僕に一体何を――」

怪訝に思いながら開けたその中にあったものを見て、僕は言葉を失った。思わずシギベルトを見ると、彼は唇を震わせ今にも泣き出しそうな顔をしてうつむいている。

「……自分でやってみたけどさ、どうしても上手くいかなかった。デリク、お前しかいないんだよ……だから、頼む」

箱の中に入っていたのは、新品のノミと何種類もの彫刻刀だった。そして、僕にはわかる、目の前の人が半端な気持ちで前も今も僕の所にやって来たわけがなかったんだ、と。

「……許して貰おうなんて、貰いたいけどそこまで望めないってことはわかってる……ただ、本当に後悔した。昔っから喧嘩してもいつの間にか仲直り出来たのに、お前が俺を見た時に嫌そうな顔したから、俺も嫌になったんだ。自分のことが嫌になってわかったんだ、どれだけ馬鹿だったか……俺、お前に嫉妬してた。ただの仕事、つまらん家造りで何で楽しそうにしてられるんだと思ってた。だけど、四年間いろんな人や木材と付き合っていくうちにわかってきたような気がするんだ……木を手に取る人の気持ち、みたいなものが。だから、ちょっとだけお前に近付けたような気がした」

シギベルトはそこで一息ついて、再び僕の目を真っ直ぐ見る。

「デリク、上手く言えないけど……正直な俺の気持ちなんだ。俺は前も今もお前に憧れてるんだと思う……素直になれなかったけど。頼む、昔からのよしみで、なんて言わない……俺自身はもうどう思われてもいい、けど、今言ったことだけは……本当に、信じて欲しい」

最後の言葉とともに、溜まった涙が彼の目から零れ落ちた。

僕は箱を置いて立ち上がり、座っていた布の上から退いた。すがるような目で見つめてくるシギベルトの腕を掴み引っ張り上げて立たせ、よろめいた後何かを覚悟したようにぎゅっと目をつぶったその体に、思いっきり抱きついた。

耳元すぐ近くで僕の名を戸惑ったように呼ぶ彼の肩に額を預け、震える声で言葉を紡ぐ。

「僕も……君に少し近付けたような気がする、ありがとう」

ただ、何かへの愛しさを口にするのはそれだけでとても難しくて、その代わりに僕は腕に力を込めた。シギベルトが盛大に鼻をすすり嗚咽を漏らしながらも、僕の体に腕を回してくる。傍から見ればいい年こいて女々しくて恥ずかしいことこの上ないが、それでもその温もりが嬉しかった。

「デリク……デリク、本当にごめん、本当に……ごめん」

「……いや」

僕は本格的に泣きじゃくりだしたシギベルトを引きはがし、ゆっくりとかぶりを振った。

「今言ってくれただけで嬉しかった……それに、一か月前は僕も言いすぎたよ。それこそごめん」

「でも、俺の方がもっと酷いこと――」

「それとこれとは別だ、もういいんだよ……もう、ちゃんと前を向いていられる。クロデキルドとシギベルトのおかげで、僕は何にでも向き合える気がしてきたんだ」

そう言って笑いかけると、彼も泣きながら笑う。その顔があまりにもひどかったので思わず目をそらして吹き出してしまった。

シギベルトが抗議の声を上げ、クロデキルドは笑顔でこちらに歩み寄ってきて僕の腕に頬を寄せる。ミミはそんなことお構いなしに、道行く人に絡んでは可愛がって貰っていた。

僕は早速シギベルトの頼みを一つ、聞いてやることにした。ご注文はツタによく似たクロイスという植物の花をあしらった木彫りの首飾りだ。白く清楚な美しい花だ、きっと彼の相手はそんな人なのだろうなんてことを言いながらクロデキルドと一緒にからかっていると、先程のエルフが何やら身なりのいい男性と話しながらこちらに歩いて来るのが見えた。

エルフが僕に気付いて笑いかけてきた。その人は隣の男性に何事かを話し、そして二人は揃ってこちらを見つめる。やがて最初からそうするつもりだったかのように、僕の方へ向かってきた。






「本当に行っちゃうのね、デリク」

父と母とミミを筆頭に、クロデキルドやシギベルト、その他にもバルチルドさんや僕より背の高い男性など、町の出口まで僕を見送りに来てくれる人が結構いた。

僕は、こちらを見上げてくるクロデキルドに向かって頷く。

「うん、いい機会だし行って修行してくるよ」

高原市場の開かれたあの日、カルロ・カラツェルと名乗った身なりのいい男性が僕に話をしに来た。彼は北の港町に木彫り細工の店を持っていて、そこに僕の彫ったものを置いてみないかと言ってきたのだ。どうやらエルフと知り合いで、ドラゴンの首飾りを見たらしい、君には才能がある、と自信たっぷりに笑いかけてきた。訊けば、僕の祖父のことも知っていた。祖父の作った木彫り細工や家具が好評で、その孫ならという考えもあったのだろう。

僕は二年間の約束で、その港町にいる木彫り細工師の元へ行くことになった。

「淋しくなるわね、町外れの家はどうするの?」

「じいちゃんの家はそのまま開けておくつもりだよ。取られて困るものなんてないし、野菜も勝手に抜いていってくれていいし、誰でも自由に出入りしてくれて構わないさ」

そのことは家族で決めた。あの木の家は人が出入りしてこそ生きているのだから。

荷物袋の中にはシギベルトから貰ったノミと彫刻刀の箱と、布に包まれた祖父の遺作が入っている。カルロが手配したのだろう、町の外には大きな緑色のドラゴンがいて、黒髪の騎乗者とともにこちらを観察していた。その巨大な金色の瞳は物騒な外見とは裏腹に、好奇心に満ち溢れていて、また春の風のように優しい。

僕はここに帰ってくるつもりだ。向こうへ行ったらきっと、何かを変えてくれた愛すべき人達にもう一度会いたいと願うだろうから。

「……本当に君と出会えてよかったよ、クロデキルド」

そう言うと、クロデキルドがあさっての方向へ顔を背けた。何故かその頬に朱が差している。

「……クロデ」

「え?」

「仲がいい人は皆そう呼んでくれるの」

少し恥ずかしそうにちらりとこちらを見た彼女が無性に愛しくなって、僕は少し考えてから呟いた。

「……クロ」

「ちょっと、何それ」

……思った通りの反応だ。まだ物心ついたばかりの時に祖父から木の声を聴いてみろ、と言われた時の、何だそれはわかるわけないじゃないか、という感情に少し似ている。

「クロデ、って言ったでしょ」

「いいじゃないか、クロ。君には感謝してる、僕を引っ張り出してくれたから」

「話の流れがおかしいわよ……まあ、いいけど」

照れているんだか憤慨しているんだか微妙な表情に向かって笑えば、シギベルトがにやにやしながら言った。

「デリクだけ特別だな。元気でやれよ」

「特別、か。そりゃいいね。うん、君も元気で」

笑いながら彼に答え、僕は晴れ渡った空を見上げる。

雲は高く、澄んだ青が美しい。きらきらと降り注ぐ太陽の光が眩しくて思わず手をかざし、目を細めた。

「……ねえ、デリク」

と、クロデキルドが何やら思いつめた表情で僕を呼ぶのだ。

「何?」

「その……あたし、ね」

振り返れば、今日の空と同じ、美しい色をした目がちらりと僕を見て恥ずかしそうに下を向いた。口を開きかけて、また閉じ、彼女は迷う。

「あたし……えっと、そう、あなたのこと――」

僕は右手で彼女の口を塞ぎ、後に続く言葉を遮った。

「いい、言わないで」

どうして、と目だけで訴えてくるその人に一歩近付き、肩に手を添え耳元に唇を寄せる。

ただ、たまらなく愛しかった。エルカの木のようにのびやかでアイリアの花のように可愛らしくて、太陽のように明るいクロデキルド、僕の世界を開いてくれた人。だから僕はそれに触れていられる風のように、囁く。

「二年後、帰ってきた時に僕から全部言わせてよ、クロ……君が言おうとしたこと全部。僕のじいちゃんそっくりで……エルカみたいで、アイリアにも似てて、太陽の明るさも持ってる君に」

すると、彼女は顔を上げた僕に向かって微苦笑とともにこう言った。

「一番エルカに似ているのはきっとあなたよ、デリク」

そうなのだろうか、きっと頬を染めた真っ直ぐで正直な彼女が言うのだからそうなのかもしれない。言われて首を傾げ、僕はそれから町の出口の方を向いた。

ドラゴンと一緒に、見たこともない場所が僕を待っている。同じように、この町の人達は僕を待っていてくれるだろう。その人達を、父と母を、クロデキルドを振り返って、僕は歌うように言った。








「じゃあ……帰ってくるその日まで、さよなら」









Fine.








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