かざり




久し振りに腕がのっていた。

円型の、手の平の半分くらいの大きさをしたエルカの木の板に尖った石灰石で下書きを施す。凹凸を付ける所の印の線は引かない、予定が予定通りに行くことはまずないのだから。丸みのある刃を持つ彫刻刀を取り出して淵を削る。

今回は麦の穂だ。収穫時期は秋で季節違いもいい所だが、何となく浮かんできたので手慣らしの為にもやっておこうと思ったのだ。

平たい刃の彫刻刀に持ち替え、麦穂の周囲を削った。再び丸い刃を手に取って、麦の穂の隙間など細かい所を平らになるようにしてから麦の粒に丸みを持たせる作業に移った。最後は麦の穂が盛り上がって、立体的に見える浮き彫りとなる筈だ。因みにこの町で麦の穂が意味するものは“節制”だ。

僕は夢中だった。ふっと脇を見た時には、長かった蝋燭が既に親指の半分ほどの長さになっていて、もうこんなに時間が経っていたのかと驚いたくらいだ。

削りくずも何もかもそのままにして、僕は着替えて寝た。当然、次の日は大寝坊をかます羽目になった。






祖父の作品を配り始めてから四日目の昼前に、僕は最後の木彫り細工群を台車に積んで町へと向かった。

麦の穂の細工は完成していた。昨夜は小さな穴を左右対称になるように円の上部に開け、長めの革紐を用意して両端を穴に通し、そのままそこに括りつけた。革紐には、丸く削って中心に穴を開けておいた飾り玉を通しておいた。白く美しい材のエルカとは違って、まるで狐の毛のような色をしたイオクス材を使った。完成したものは今、僕の首に掛かっている。

クロデキルドはこの三日間、町の入口あたりで僕の到着を待っていた。彼女にとっては見知った場所を、ぶらりと回って届け物をするだけの少々退屈な仕事であるはずなのに、どうしてこうも毎回付き合ってくれたのだろう。不思議でしょうがない。

彼女は今日もそこにいた。

「やあ」

声をかければ、その人はこちらを振り返って僕に気付き、ふわっと微笑んだ。後頭部でまとめ、丸めた栗色の髪が解けかけている。彼女は全く早い時間でもないのに言った。

「お早う、デリク」

父や母がそうするように、クロデキルドも僕のことをそう呼ぶようになっていた。嫌だとは思わなかったし、寧ろそれだけで親しくなったと感じられるのが何より嬉しかった。

「もう今日でおしまいだ」

飛びついて来たミミを撫で回す彼女に向かって僕は言った。空色の瞳がこちらを見つめてくる。

「あ、やっと終わるのね。じゃあ明日からはどうするの?」

「もう一回じいちゃんの家に帰って荷物整理してから、こっちの家に戻ってくるつもり」

「ふうん、そうなの」

僕達は歩き出した。すると、こちらを見ていた人々がすっと建物の間の道へ入って姿を消していく。どうして皆何処かへ行ってしまうのだろうと思いながらクロデキルドの話を聞きつつ歩いていると、ほどなくして沢山の人がこちらへ向かってきた。

「ちょっと、何かしら、これ」

流石のクロデキルドもこれには戸惑ったらしく、足を止めて周囲を見回す。どうしたものかと思って僕もその場に止まった。

「しかも皆こっちに来る」

そう呟いたその時、誰かに左肩を叩かれて僕は飛び上がった。

「うわっ」

「ああ、驚かせてしまってすまない――」

僕は自分でも背が高い方だと自覚している。何しろ、必ず身をかがめなければ家に入れないくらいだ。そんな自分よりも背が高いのは父や祖父ぐらいしか知らなかったが、目の前の四十歳くらいのこざっぱりとした男性は僕よりも背が高かった。

「いえ、気にしないで下さい。何かご用でしょうか?」

見上げながらそう言うと、その人は台車の方にちらりと視線を送ってから答える。

「ああ……噂で聞いたんだが、ここ数日メロヴィクさんの木彫り細工を譲り歩いている大きい若者と小さい娘ってのはお前達か?」

「小さいですって? 失礼しちゃう」

クロデキルドが右隣でそんなことを呟いたが、僕は無視して話を続けることにした。

「ええ、僕達ですけど……お譲りしましょうか、一つ」

僕は台車の縄をほどいた。もう一度その背の高い男性を見てから、目に付いた木彫り細工を一つ両手で抱える。足もとまであるチュニックを纏った、髪の長い優美な女性の像だ。花のような微笑みを湛えている。

「これなんてどうでしょう?」

男性は差し出した僕の手から像を受け取り色々な角度からそれを眺めていたが、やがて心の底から嬉しそうな笑みを顔いっぱいに広げ、口を開いた。

「ああ、ありがとう……ここでこんなものに出会えるとは」

「気に入りましたか?」

「……亡くした妻にそっくりなんだ」

腹の何処かがぴりぴりと震えた。その人は僕に何度も礼を言って、家の角を曲がり去って行った。

それからは忙しくなった。ずらっと一列に並んだ人々を一人ずつ相手し、その人の“何か”に合う作品を次々と手渡していった。終始僕が感じていたのは、何一つとして同じ雰囲気のものを作らなかった祖父の“人間性”そのものに対する尊敬の念だった。

最後の一人にミミが頭を撫でて貰った時には、夕日が僕達を照らしながら別れを告げようとしていた。ふう、と溜め息をついて凝り固まった肩を回していると、西の空を眺めていたクロデキルドがこちらを見て、次いで何かに気付いたように声を上げる。

「それ、いいわね」

「ん、何が?」

「首から掛けてる、それ」

ずいぶん前から、彼女は栗色の髪をほどいていた。その人の指は、僕が造ったエルカとイオクスの首飾りを差している。

「ああ、これか」

「それもメロヴィクさんが?」

「いや……恥ずかしながら、僕が」

うつむきながらぼそぼそっと僕が喋ると、クロデキルドは明るい声を出す。

「恥ずかしいことないじゃない、十分素敵だと思うわ……あっ」

「何、どうかした?」

何か忘れ物でもあるのかと思い一瞬で真顔になった彼女に向かって訊けば、とても不服そうな返事がきた。

「あたし、メロヴィクさんの木彫り細工貰ってない!」

「ああ、そう言えば……」

あんなに手伝ってくれた……と言うより着いてきただけだったけれど、この町の人と会うのに若干恐怖心を抱いていた僕にとって、彼女は心を和らげてくれた有難い人だった。これでは何も返せていないじゃないか。

「えっと……ごめん、もうじいちゃんの作品は残ってないんだ……」

「ううー、残念すぎるわ、最初にどれか気に入ったのを取っとけばよかった」

「あ、でも屋根裏を探せば多分一つくらい落ちてるかも……」

クロデキルドは唇を尖らせながらもういいのよ、と横目で僕を見る。と、何かを思いついたように瞳を輝かせた。

「そうだ、あなたが首に掛けてるそれ、ちょうだい」

「……こんなのでいいの?」

何とも意外な申し出に僕は戸惑った。普通は祖父の木彫り細工を欲しがるものなのに。

「言ったじゃない、それだって素敵よ」

少し落ち着かない気分になって目をそらすと、彼女が僕の服の裾を引っ張ってくる。

「ねえ」

「……わかったよ」

彫った麦の穂が紅色に染まるそれを首から外し、彼女に後ろを向かせて頭からひょいと掛けてやった。思っていたよりも長くて綺麗な髪を革紐と首の間からするりと掬い出してやれば、振り返ったクロデキルドがはにかんだような笑顔を僕にくれる。

「へへっ、ありがとう……麦の穂、いいわね」

「因みに、麦の穂の意味は“節制”だからね」

照れ臭くてあさっての方向を見ながらそう付け足せば、彼女がすぐさま抗議の声を上げた。

「ちょっと、それってどういう意味よ」

わざとなの、とわめくのが可笑しくて、僕は思わず彼女の顔を見ながら吹き出してしまった。声を上げて笑えば、小さな体の何処からそんな力が出るのだろう、更に大きな声で怒って腕や脇腹を相当な力でどついてくる。

「何よ何よ、笑うことないじゃない! ひどい」

「ごめんごめん、でもいい具合にたまたま被っただけだから。痛いからやめて」

「謝りながらもっとひどいこと言ってる、デリク」

僕は半笑いのままもう一回ごめん、と言ってから、また付け足した。

「でも似合ってるよ、それ。あげてよかったかも」

するとクロデキルドは何だか照れたような顔になってうつむき、ありがとう、ともごもご言う。それから、何かに気付いたように顔を上げた。

「そういえばあたし、あなたが笑ったの初めて見たかも」

……そうだったっけ? そうだったかもしれない。人の言葉に嬉しいなあと感じたことは結構あった筈なのに、何かが邪魔をしていたのだろうか。

「……自分で自分に驚いて、面白い人ね。でも、笑ってるともっと男前だわ、あなた」

その苦笑はとても優しく、まるで作りかけの木彫り細工に込められた何かととてもよく似ていた。








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