であい




祖父の遺品を整理し始めて三日経った。

捨てなければいけないものは何処にもなかった。しかし、僕はいずれここを出ていくつもりだ。祖父の古い服や作品、何十本もある彫刻刀やノミ、木材を全部引き取って町にある家へ帰ってもいいが、屋根裏部屋を埋め尽くすほどの量の木彫り細工を置く場所など幾ら頭をひねっても出てこなかった。ミミはきっと大丈夫だろうけど。

祖父を慕う人は町に大勢いる。特別に良いと感じたものを幾つか残して、後は祖父の作品が好きな人にあげてもいいんじゃないか。その方が、置き場所に困っている僕よりも大切にしてくれるだろうと思い立ち、大きな木の台車を家の裏から引っ張り出して、祖父の作品を大きいものから一つずつ、台車一杯に丁寧に入れる。屋根裏に落ちていた長い縄で木を傷めないように括り、落ちないように固定した。町に戻るのはあまり気分が乗らなかったが、思い付いたらさっさとやってしまいたかった。

それから僕は家に入り、パンと果物を背負い袋に一つずつ入れた。荷物を背負い、万が一の修正の為に彫刻刀とノミを入れた別の袋を台車の隙間に押し込み、太い取っ手を押して二年ぶりに町へちゃんと帰ることにした。勿論、ミミも一緒だ。

野原に舞う蝶がふわふわと目の前を通り過ぎる。車輪の騒々しい音に、草の間から一匹の野兎が顔を出してこちらに黒い瞳を向けてきた。後ろを振り返れば、天辺の方にまだ白く雪の残る高い山々が連なり、その手前に落ち着いた木の色をした祖父の家。あの家の屋根裏にはまだ、その広さの四分の三もの木彫り細工が残っている。

……これからあの家はどうするのだろう。僕がいなくなったら、それこそ朽ちて全てが消えてしまうんじゃないかと思えた。でも、祖父のように再び大地に還っていくのなら、と考えて、それもそれでまあいいかと考えた。

雲と空が遥か高い所から僕を呼んでいる。太陽はまるで祖父のようにこの体を包んでくれる。ミミは台車の前を速足で進んでいる。

穏やかな気持ちのまま僕は父と母の住む小さな町の入り口を見付け、自分でも驚くほど自然に門をくぐり抜けた。

町の家は全部香り高い木で出来ている。僕の家はエルカの木材で出来ていて、とりわけ人を安心させる不思議な空間を生み出していた。だけど、今日はそこに寄る暇はない。家が百軒くらいしかなくて人も数百人しかいないこんな小さな町でも、一つ一つ回って祖父の作品を届けるのはかなりの時間がかかるだろう。

まだ昼にもなっていないのに、外には結構人が出ていた。小さな子供が道端を駆け回り、玄関口でおばさんが三人寄り固まって喋っている。腰が曲がっていて杖をついたお爺さんが向こうから歩いてくるのをどう避けようかと考えながら、僕はそこで足を止めた。

「坊主、そこのはメロヴィクさんのものかね?」

と、背後から声がしたので僕は振り返った。そこにいたのは祖父と同じくらいの年で、背筋がきっちりと伸びた背の低い男の人だ。

「メロヴィク……あっ、ええ。そうです」

この人、祖父の名を知っているということは、仲が良かったのだろうか。シャツはしわ一つなく、かぶった帽子は真っ直ぐだ。

「……ああ、そうか。坊主はあの葬儀の時もいたなあ」

彼は、僕を見て何かに気付いたように目を丸くしてから呟いた。とりあえず反応しておいた方がいいかと思って、僕は口を開く。

「はい、僕は孫のテウデリクです」

「テウデリク……? ああ、もしかして大工から外されたクロヴィスのせがれか?」

その言葉は、僕の胸をいとも簡単に突き刺した。急に僕が何も言わなくなったので相手は戸惑って、眉間に皺を寄せながら少々遠慮がちに喋り始める。

「あ、いや……他意があって言ったわけじゃあないんだ、すまん。しかし、どうしてお前さんがメロヴィクさんの木彫りをこんなに沢山押して歩いているんだ?」

僕はその申し訳なさそうな声色に少しだけ安心して、その人に向かって頷いた。

「いえ、気にしませんよ。あの……祖父の作品が好きな人に譲ろうと思って……外れの家に置いて朽ち果てさせたくないんです、でもあまりにも多かったので……どれか一つ、持って行かれます?」

進み過ぎていたミミがこちらに戻ってきた。黒と白の体が少し眩しくて、僕は思わず目を細める。いいのか、と訊く老齢の男性に相槌をうちながら柔らかなミミの頭を撫で、いい天気だなあなんて思いながら空を見上げた時だった。

「何これ、同じものが何十本も」

残念そうな若い女の声に振り向けば、台車の隙間に押し込んでおいたノミと彫刻刀の袋が何故かがっかりした顔の、小さな若い女の腕にすっぽり収まっている。

「ちょっ、ちょっと――」

「木彫りが素敵だから袋に入ってるものはもっと素敵だと思ったのに、残念」

彼女に――いや、彼女の腕の中にある袋に手を伸ばしかけた僕が、その言葉にいらっとしたのは言うまでもない。

「あのなあ」

僕はその小さな体からノミと彫刻刀が大量に入った袋を力任せにひったくった。女が憤慨した様子で突っかかってくる。

「ちょっと、何もそんなに乱暴にしなくたっていいじゃない」

「うるさい、じいちゃんはこのノミと彫刻刀で、ここにある木彫り細工を全部、生み出したんだ」

見下ろす先には、怯えと後悔の色をにじませた表情。僕と目を合わさない。ただ、場の状況を全く読もうとしないミミが僕の腰に前足でしがみついてきた。

ワン、と大きく吠える彼女の頭を撫でてから、僕は取り返した袋を元あった場所、つまり台車の隙間に押し込む。そのまま視線を上げると、いつの間にかドラゴンの大きな木彫り細工を抱えた老齢の男性と目が合って、何故かにやりと笑われた。

「あ……すいません、お名前を伺ってなかったので、教えて頂いてもいいですか?」

急に恥ずかしくなって、僕は苦し紛れに言ってみた。すると彼の人はまたにやっと口の端を吊り上げてから、自分の名前はバルチルドでメロヴィクさんの古い友人だと答え、立派なドラゴンを大事そうに抱えながら礼を言って、道の向こうへと歩いて行った。

何も考えずに殆ど全部の祖父の木彫り細工を持って来た為、あんなに立派なドラゴンはじっくり見ておかなかったのだ。自分はなんて馬鹿なんだろう、と思いながら溜め息をつく。

「……何してるんだか、僕は」

すると背後で何やらか細い声がするので振り返ってみると、先程の失礼千万な若い女がまだそこにいて地面を見つめている。

「……何か言った?」

「……だから、ごめんなさい」

空のように青い瞳が射抜くように僕を捉えてきた。

「何も知らずに無神経なこと言っちゃった。本当に悪いことしたと思ってる」

曇りのない双眸はしかし妙に潤いを湛えて揺れている。これ以上何かを言わせたらまずいことになると思い、僕は小さくかぶりを振った。

「いや、わかってくれたみたいだからよかった。あと、僕の方も乱暴だったりきつかったりして、ごめん」

そう返せば、彼女は安心したように少し微笑んで名はクロデキルドだと言う。僕は自分の名と年、木彫り細工師であった亡き祖父の名を告げた。

「私より二つお兄さんなのね。というか、あなたの名前を何処かで聞いたことがあるのは気のせい?」

くりっとした大きな目は無邪気に僕を覗き込んでくる。何とも気の抜けた声と他意のない台詞に怒りも呆れも忘れ、僕はただ肩をすくめてみせた。

「二年前に大工をクビになったんだけど、噂で流れたんだろうね」

「あっ、ごめんなさ――」

「いいよ、何かもうどうでもよくなったし」

会ったばかりなのに人懐っこく接してくるクロデキルドを色々な意味で尊敬しつつ、僕は別の場所へ移動するべく台車の取っ手を再び握った。いつの間にかそこらを駆け回る子供達と戯れていたミミを呼び、飛びついて来たその頭を軽く撫でてから台車を進ませる。

後ろを振り返って、僕は言った。

「じゃあ、僕はじいちゃんの木彫り細工を町の他の人にも譲りに行くつもりだから、ここで――」

「一緒に行っていい?」

……何故彼女がそう言ったのかを考えようとしたけれど、意味もないかと思って一瞬でやめた、その代わり僕は頷く。

「うん、いいよ」






二人と一匹で喋りながら小さな町を回り、一回休憩して昼食を取って、台車一杯の祖父の作品を約三十件に配り終えたのは日もとっぷりと暮れて濃紺の空に星が瞬く頃だった。

「本当に全部あげちゃったのね」

クロデキルドが袋と縄しか入っていない台車を覗き込んで呟いた。勿体ない、とでも言いたげだ。

「いや、いいんだ。幾つかは残しておいてあるし、それに屋根裏一杯にあったから、後何日かかかるだろうね」

僕は言って、すきっ腹を抱えたまま夜空を見上げた。遥か高い雲の下を幾つかの小さな影がすうっと通り過ぎていく、きっと小型のドラゴンか何かだろう。

「ふうん、じゃあ明日も町まで下りてくるのね」

「うん、まあね」

彼女は明日もついてくる気なのだろうか? 町を回っている時は結構楽しそうで、太陽のような笑顔を振りまきながら道行く人と会話を弾ませていた。

台車の上にミミがひょいと飛び乗り、僕を振り返る。いい頃合いなのでクロデキルドの方を向いて口を開いた。

「じゃあ、僕は戻るから」

「あ、うん。気をつけてね」

彼女はふわりと微笑んで手を振る。それに頷きを返して、僕は台車を押し祖父の家へ帰ることにした。








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